【案内】初盆のお勤め

【案内】 初盆のお勤め
妙華寺では、以前からお盆行事の一つとして、ご希望の方の初盆のお勤めをしています。
昨年のお盆から今年のお盆までの期間に亡くなられた方のご家族が初めてお盆を迎える時に初盆のお勤めをします。
妙華寺のお盆は、7月と8月の両月に地区を分けて行いますので、ご希望の月に初盆を勤めることができます。
一般的には、7日に初盆を勤めるご自宅に出向いて、火入れのお勤めします(火入れ)
その後、13日~15日の期間の夕方以降に、妙華寺の本堂でお勤めします(本堂で23日まで朝夕お勤めをします)
23日の午後7時より妙華寺の本堂で初盆を営まれたご家族と共に最後のお勤めをして初盆の行事は終了いたします。23日の予定は、お勤め(30分)と、「高田派のお仏壇のお給仕」のビデオ(20分)を見ていただき終了いたします。

注① 初盆の7日の火入れをご希望の方は、前月末までに、妙華寺までお申し出ください。月初めに火入れのお勤めに行くご自宅の順番を決めさせていただきますので、火入れの時間を妙華寺にお尋ねください。(およそ30分単位で決めています)

注② 13日~15日の期間の夕方以降に妙華寺の本堂でのお勤めの時間は、ご希望時間が重なりますと調整させていただく場合がございます。また、遅延されます場合は、妙華寺にご到着された順になる場合がありますのでご了承ください(およそ30分単位で決めています)
また、妙華寺の本堂にお持ちいただく初盆の仏具ですが、ご法名の記載されたもの以外の仏具は、ご遠慮をお願いしておりますご了承ください。

注③ ご遠方の方で初盆のお勤めをご自宅でご希望の方は、7日に火入れのお勤めができない場合がございますのでご了承ください。また、本堂(お寺)での火入れのお勤めも行っております。

※ご不明な点はお寺にお聞き下さい。

実践と座学

実践と座学
一般的には、実技(実習)と講習と呼び、学ぶことが多いと思いますが、茶道では、実践と座学と聞くことがあります。
茶道の稽古は、一服のお茶をおいしく差し上げるための実践です。その学びは深く多様であります。一方、茶道の歴史や理論を学ぶことも必要です。共に、学ぶべきものはたくさん有り、生涯学ぶことが大切だと感じています。

仏教も同様だと思います。「み教え」を学ぶことも、「み教え」を伝える(実践する)ことも生涯つづけることが大切なのだと感じています。
私(住職)には、限られた時間しか与えられていません。
そして、実践することができなくなったり、座学としての学びが難しくなる時が必ずやってきます。その時、どのように対応するかが問われようとしています。
1つは、これまでの歩みから離れる(関わらない)選択と、もう一つは、これまでの歩みの中でできることで関わりつづける選択だと考えられます。関わり方には、さまざまな形がありますし、自身の活動できる範囲や健康面などで変化しながら、関わりたいけど関わる事ができなくなる日がやってきます。その日まで、私(住職)は、自分のできる範囲で関わっていくことができればと願っています。
※中川個人の感想です。

さい銭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さい銭」についてインターネットで調べると、下記の説明があります。

賽銭(さいせん)とは、祈願成就のお礼として神や仏に奉納する金銭のこと。
元は金銭ではなく幣帛・米などを供えた。「賽」は「神から福を受けたのに感謝して祭る」の意味。「祭る・祀る」の語義は「飲食物などを供えたりして儀式を行い、神を招き、慰めたり祈願したりする。

散銭ともいうが、金銭を供えるようになったのは後世であり、古くは米が神仏に供えられた。その形態は、神前や仏前に米を撒く「散米」「散供・御散供・打撒」や、洗った米を紙に包んで供える「おひねり」だった。金銭が供えられるようになったのは中世以降であり、庶民に貨幣経済と社寺への参詣が浸透し始めた時期である。そして、参詣が一般化したことで都市の風習として、賽銭をあげることが流行になった。しかし、現在のように賽銭箱が置かれるようになったのは近世以降である。また、地域によっては長らく米が供えられていた。

現代の日本においては初詣で特に多く納められ、寺社の維持・運営の重要な財源となっている。参拝客にとって経済的負担が少なく少額硬貨が入れられることも多いが、近年では、寺社にとっては金融機関への入金手数料が負担になる問題が起きており、却って赤字になる場合もある[6]。特に一円硬貨に関しては、金融機関に大量に入金しようとした場合、その大量の一円硬貨の総額が手数料に負けてしまう場合が多い。そのため2022年頃から、神社が主に商店等の事業者向けに金融機関を介さず無手数料で賽銭を利用した両替サービス(その利用者は紙幣等を出し、釣銭用等として棒金の形で硬貨を受け取る)を行うケースが各地で相次いでいる。((https://ja.wikipedia.org/wiki/賽銭 参照 2025年6月24日))

京都迎賓館

京都迎賓館
京都迎賓館は京都御所の敷地内にあり、今年開館20周年で、ガイドツアーを開催されていると聞き参加しました。
京都御所といえば、三大祭りの1つ「葵祭」の出発地で、随分前ですが、祭りの行列を見学したことがありました。
迎賓館は、海外の賓客をお迎えする施設ですので、私(住職)のような一般人には関係ない施設ですが、日本国のおもてなしの施設を拝見できる贅沢な時間でした。
日本建築の伝統と粋と美しさと現在の建築技術の融合をめざした「現在和風」の創造を目指した建造物のようです。11名の伝統技能者の技や14種類の伝統技能を活用した調度品が配置されているそうです。拝観時間は90分ほどですが、説明も含めてとても見応えのある素晴らしい時間でした。

『悲しみをこえる人生』

『悲しみをこえる人生』浅井成海師 法蔵館 伝道シリーズ7
少し前に出版されました伝道シリーズの1冊です。
愛しい人を送ることを通して、阿弥陀如来の「み教え」に出遇うことのありがたいことをやさしい言葉で伝えていただいています。
「最近、大事な方とのお別れを経験して、深い悲しみの中に沈みこんでおられる人もあると思います。救われているのだろうか、それとも迷いつづけ苦しみつづけているのではないかと、不安な毎日をすごしておられる方もおありのことでしょう。しかし、本当に別れの悲しみをのりこえていくためには、本願のみ教えに遇うほかに道はありません。親鸞聖人の導きにより、ただ阿弥陀如来のよび声を聞かせていただくよりほかにありません。遠まわりのようでもそれが近道になります。聞法いたしましょう。そうすることで、亡き人にお育てをうけ、導かれていることが知られます。お念仏のみ教えを聞かせていただきましょう。そしてすぐ結論を出すのではなく、聞きつづけましょう。必ず道は開かれます。いやすでに道は用意されているのです。そのことに気づかせていただきましょう」と最後の一文から、これからの人生を、しっかり歩む力をいただきました。
※中川個人の感想です。

共通認識

共通認識
お茶の稽古は、「お茶(濃茶)をおいしくいただく」ことを分割して習うことです。
お茶をいただく時にお菓子が出されますが、お茶が出てくるまでにお菓子をいただきます。それまで、お茶とお菓子は一緒にいただくものと思っていました。日常生活では、お菓子を食べながら、お茶を飲むことは当たり前でした。自分流でおいしくいただくことで良かったのですが、お菓子はお菓子としておいしくいただく。そして、お茶はお茶をおいしくいただくことを突き詰めると、作法にならったいただき方になるように感じています。食事も、懐石・会席は、一品毎に目の前にだされて、それを食し、次の一品に進んでいきます。もちろん、定食などは一度に注文した料理が出てきますし、バイキングなど自分の好きな物を好きなだけ取っていただく場合も自分らしいなと思うこともあります。
少し、話題がそれますが、「仏様の前を通るとき、横切るとき、頭を下げる」
「畳を歩く時、畳の縁は踏まない」「座布団の正面」などの作法はご存知ですか。
知らなくても、日常生活で支障はありません。支障はありませんが、これまでの社会では当たり前のように受け入れていたルール(しきたり)で、その時代では、1つの共通認識だったのだと思っています。

今の時代に共通認識できるルール(しきたり)はあるのでしょうか。
中日新聞の人生欄で、能の「羽衣」の記事を拝読しました。日本文化に造詣が深い方はご存知だと思いますが、私(住職)は、高校生の頃、歴史か古文の科目で能で演じる「羽衣」の演目は学んだと思いますが、内容はついては、学んだかどうか、まったく覚えていません。一昔前なら、日本人の教養として能や歌舞伎の演目や俳句や和歌などが共通認識のもと、絵画や日常生活品などに趣向が取り入れられ、会話が弾んだと思うのですが、今はどうでしょうか。

日本に仏教が受容されてから、生活の中で、仏教語も数多く使われていましたので、仏教も共通認識されていた1つと思いますが、今は仏教も教養(常識)としての共通認識は難しい時代になってきているのではと感じています。
※中川個人の感想です。

変形性ひざ関節症

変形性ひざ関節症
6月に入り、右足の膝が痛み、整形外科を受診しました。加齢による老化現象で膝軟骨が減り痛んでるそうです。湿布薬と飲み薬(痛み止め)でしばらく様子を見ることになりました。その間も、衰えている足の筋力をつける運動を進められています。
そして、正座(座る)ことを当分禁止されました。
歳を経ることでこれまでできていたことが、できなくなることは、父母の姿を見てわかってるつもりでいました。しかし、実際、自分自身の身体がそうなると、うろたえます。生活の中で座ることは少なくなっていますが、痛みで座ることができなくなることは、やはり違います。衣を畳むことや、かがんで床に落ちたものを拾おうとするのも難儀な状態です。

今の状態は、お寺の住職として、大変なことです。お同行の皆様の自宅のお仏壇で、正座してお勤めするのが難しそうです。これからお盆が近づいています。それまでに回復できれば良いのですが、少し不安もあります。正座が難しい場合、ご無礼なことですが、立ってのお勤めになるかもわかりません。ご了承ください。

 

【報告】仏教教育研究センター公開講座

【報告】仏教教育研究センター公開講座
「ともに生きる」とは =自死の活動から= 中川 結幾

妙華寺の副住職がお話させていただきました。

大学院に入学し、京都自死・自殺相談センター(Sotto)でボランテイア活動を始め10年を迎えた活動を通して、「ともに生きる」ことを学ぶ機会でした。
私たちの社会では、自死・自殺で亡くなった場合、亡くなった方を「心が弱い」「甘え」であるなど非難のまなざしで語られがちです。(WHOの世界的な調査でも同様です)
自死・自殺について話すことは憚れることと捉えがちですが、フラットに話ができる場を提供できるように活動している。

仏教の視点も取り上げられて、経典では、生死の善し悪しは問題でないとほぼ断言できるそうです。また、法然聖人や親鸞聖人の言葉からも、死に方に「良い」「悪い」は含まれていませんと話されました。

自死・自殺を話題に取り上げることの難しさは、「死にゆく私の気持ち」をわかってもらおうとすることによる、「わかってもらえない孤独」を感じることではないかと。またそれぞれの「いのち」を評価しないで、寄り添うことを活動の中で感じるようです。

最後に、「ともに生きる」とは、苦しみを抱えた仲間として、ともに生きる。その人を変えることでも、正しい答えを与えることでなく、変わらないそのままに寄り添って、ともに立ち止まる。ことを自死の活動から学ばれたそうです。

久居から遠方の高田会館まで、お同行の方も受講していただきありがとうございました。

※中川個人の感想です。

伊勢だより

伊勢だより
皆さん「赤福餅」はご存知ですね。三重県の餅菓子の中でも一番有名だと思っています。これまでも何度もおいしくいただいています。赤い包装紙をほどくと、購入した日付の伊勢(三重県)の名所などの紹介が書かれた「伊勢だより」が入っています。今は、赤福のHPで毎日更新されますのでその日の「伊勢だより」を知ることができるのですが、以前は、購入しない限り、「伊勢だより」で紹介される名所がわかりませんでした。
6月13日の「伊勢だより」は、高田本山にある「安楽庵」の紹介です。

高田本山の御影(みえい)堂も「伊勢だより」で紹介されているそうです。私(住職)は、まだ、日付を知りませんので手元に「伊勢だより」は持っていません。