【案内】6月の日曜学校は1日午前7時30分からです

【案内】6月の日曜学校は、6月1日の朝7時30分から8時頃までです。
衣更えの時期です。気候も蒸し暑い梅雨に入ります。
ご家庭での平素の夕時のお勤め(重誓偈・文類偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

覚えていますか?

覚えていますか
11年前の今(5月24日・25日)、妙華寺では、一光三尊佛御開扉法会を厳修していました。
高田本山では5年後に次の一光三尊佛をお迎えします。
その時、妙華寺でお迎えできるかどうかこれから皆さんと共に考えていきたいと思っています。

【下記の文章は、11年前のものです】

一光三尊仏の由来について

栃木県の本寺に伝わる一光三尊仏は、親鸞聖人が自ら善光寺よりお迎えされ、親しく御恭敬されました尊像であり、真宗高田派のご本尊であります。
この尊像は、中央に阿弥陀如来、脇侍(わきじ)として向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が一つの光背(こうせ)におさめられいますので、一光三尊仏と言われています。
一光三尊仏の伝来については、かつて印度の月蓋(がっかい)長者が釈迦如来に懇請し、閻浮檀金(白金)で造られ、中国・百済(朝鮮)に渡り、欽明天皇の時代に百済の聖明王より、朝廷に献上された我が国で仏教伝来の最古の尊像であります。
当時、仏教に反した物部の守屋大臣が、この尊像を7日7夜「ふいご」でふき、三日三夜鉄板上で打ち砕こうとしたが失敗し、ついに万策つきて難波の堀江に棄てたと言われます。堀江に沈んで18年、推古天皇の8年に信濃国の本田善光という者が縁あってすくい上げて、郷里の信濃国にお伴し、自宅の臼の上に祀っていたが、多くの人々の信仰が厚くなり、やがて、勅命(天皇の命)により、長野に善光寺が建てられ善光寺の本尊となった。
嘉禄元年(1225)関東各地を教化されておられた親鸞聖人が、下野国高田にお寺を建てようとせられた時「速やかに信濃国善光寺に来るべし、我が身を分かち与うべし」と夢のお告げがあり、善光寺に赴き、一光三尊仏の一体分身の尊像を感得せられ、笈(おい)に納めて背負って高田へ帰り、専修寺の本尊としてあがめられました。
高田本山の第10世真慧(しんね)上人の時に、本山は伊勢国一身田に移されたが、下野の高田にそのまま一光三尊仏が安置され、善光寺にならって長く秘仏とされてまいりました。第17世円猷(えんゆう)上人は、伊勢をはじめ各地の御同行にも、尊像を拝ませたいと思し召し、出開帳をお許しになられ、それ以来17年目ごとに勝縁に遇うことができるようになりました。
王室においては、桜町天皇、後桃園天皇、後桜町天皇、光格天皇、仁孝天皇、明治天皇から御親拝あった尊像でもあります。
これらのことから、三国伝来の一光三尊仏、天拝一光三尊仏ともいわれます。
親鸞聖人の御和讃に
「弥陀 観音 大勢至  大願の船に乗じてぞ
生死の海にうかびつつ 衆生をよぼうてのせたまう」
とあります。私たちの救われて行く姿を如実に現して頂いている尊像に深く感激された一首でしょう。
当妙華寺としては、大正7年12月12日より5日間御開扉申し上げましたのが始まりで、平成26年5月24日・25日の御開扉は実に7回目のご勝縁でありました。
次回の高田本山での一光三尊仏御開扉は、13年後の西暦2030年です。

 

真宗入門講座

【報告】真宗入門講座
高田本山専修寺の「親鸞伝絵」から親鸞聖人の生涯の紹介です。
前回、所用で参加できませんでしたが、3年にわたっての「親鸞伝絵」の最後の講座で「聖人入滅」と「廟堂創立」の段でした。
親鸞聖人の入滅後、覚如が親鸞聖人の生涯を門弟に聞き訪ねまとめたのが「親鸞伝絵」です。遺徳に感謝する為のもので、誇張した表現もあるようですが、貴重な史料であると思います。「聖人入滅」の段では、高田派三世の顕智上人の名札があり、関東の高田門徒が葬送に関わっていたことがわかります。「廟堂創立」の段では、「親鸞伝絵」が作成された時期で、絵の内容が違っていますが、その時の「廟堂」が描かれているとの指摘も、「廟堂」を管理(守る)する留守職についても考えさせられました。廟堂創立にも関東の門弟達が関わっていたことは、他の書状でも明らかです。
親鸞聖人が往生され750余年の今、もう一度、親鸞聖人の生涯を通して、阿弥陀如来の願いをどのように伝えていければと届くのか考えていきたいと思います。
※中川個人の感想です。

親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)

親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)
親鸞聖人の出自について覚如上人の『親鸞伝絵』に記されていますが、中世の史料には、聖人がいつどこで生まれたか具体的な記述がありません。
宗祖(しゅうそ)親鸞聖人は、承安3年(1173)に誕生されたことは、聖人のお手紙・書物に年齢が記されていますので判明しています。誕生の月日は、1月1日・2月上旬・4月1日、10月の諸説があります。これらは江戸時代に編集された聖人の伝記によるものです。その中で高田派の良空(りょうくう)の『高田開山親鸞聖人正統伝』に記された4月1日(太陽暦5月21日)説が有力になり、定着していき、場所については山城の日野の里に伝承があり今に至ります。また聖人の誕生日の行事として法会が勤まるのは明治に入ってからです。降誕会とは普通お釈迦様の誕生をお祝いする行事ですが、真宗では「親鸞聖人は阿弥陀如来の応現(おうげん)」と頂くところから聖人の誕生を降誕会と言いお祝いの行事をしています。

また、お同行の皆様の喜びの1つに親鸞聖人90歳のお年を「祖師寿(そしじゅ)」と言い90歳になられたお同行の皆様の仏縁を共にお喜び申し上げています。
男性は降誕会の5月21日に、女性は6月の最初の日曜日に開催されます高田派婦人連合大会の式典で表彰されます。このことを励みにされていらつしゃる方もたくさんいらっしゃるそうです。

【報告】5月のTemple Morning

【報告】5月のTemple Morning
第3日曜日18日にTemple Morningを開催しました。
先月と同様4名の参加でした。蒸し暑くなる中、ご奉仕ありがとうございました。

最近、私(住職)は、目の前にあるものに集中することがおっくうになってきました。
年齢のせいにするわけではありませんが、視力や聴力が衰えてくると、集中するのがむつかしいのかもわかりません。しかし、限られた時間ですが、自分の目の前にあることに向き合うことができると心が軽くなるように感じます。

年6回 第3日曜日午前8時から1時間【1月・2月・3月・7月・8月・12月は休会・雨天中止】
4月20日・5月18日・6月15日・9月21日・10月19日・ 11月16日
清々しい朝の1時間 お寺で過ごしませんか

※お寺の行事で参加していただくと念珠の「珠」をお渡ししているのは、日曜学校とTemple Morningに参加された時ですが、22珠集めると、男性用か女性用の単念珠になります。これまで延べ20名ほどの方が念珠としてお使いいただいています。

抹茶ブーム

抹茶ブーム
5月は、新茶の季節でもあります。抹茶は、新茶を寝かせ(熟成させ)て、11月の開炉の時に味わいます。お寺では、お寺の行事や、身近な方との場で、薄茶でおもなす文化が続いています。
日常生活の中で、以前に比べ、抹茶を使ったお菓子が多くなりました。また、外国での需要もあり、国内での生産量は、それほど増えていませんので、これまで、抹茶(薄茶)を愛飲していた、茶道愛好家に届くことが、厳しくなっています。
いつも、抹茶を購入しているお店でも、以前は、製造元に発注すれば直ぐ送ってもらえる抹茶が今は、発注量がすぐ届くことはないそうで、お店に抹茶の在庫がある時と無い時があるそうです。
抹茶が世界的に認められ、需要が増えることは喜ばしいですが、手に入りにくくなるのは少し残念です。

なにか、生産システムの違いはありますが、今のお米騒動にも似ているような感じもします。※中川個人の感想です。

久居城下案内人の会

久居城下案内人の会
地域のボランテイア団体の1つに「久居城下案内人の会」があります。
妙華寺のHPでも何度か紹介していますが、久居城下の名所・史跡案内や講演・紙芝居・昔話など地域のボランテイア活動をされています。
「久居城下案内人の会」さんでは、妙華寺も、久居の名所・史跡案内の時に紹介をしていただいています。また、江戸時代の伝承として、妙華寺の本堂の屋根から空を飛ぶことを夢見た国友貢の飛行機の失敗の紙芝居を披露されたりしています。
会の地域をもり立てようとする思いは素晴らしく、私(住職)個人も応援をしています。

【案内】5月のTemple Morningは18日午前8時から

【案内】コロナ下から始まったTemple Morningは、今年で6年目を迎えます。
これまでも多くの方々にご参加いただきありがとうございます。

05月18日(日)午前8時から9時頃までです。
今年は6回のご案内です。
Temple Morning お寺の朝(テンプルモーニング)はじめます
いつもと違う朝 気持ちを整えて集中できる時間を創りませんか

予定 お勤め(10分)・境内の掃除(30分)・お話(10分)・茶話会(自由参加)
風邪の症状のある方・37.3度以上の熱のある方はご遠慮ください。
   お勤め・お話は、短めに、自由参加の茶話会は、当面中止します
掃除道具は貸し出します。途中出入り自由です。雨天は中止です。

お寺の掃除を今風に呼びかけるには、これまで妙華寺の境内(特にお墓)の草抜きなどの掃除は、古くは草抜きなどをされている方、そして現在は高齢者(シルバー)人材センター様に登録されている方にお願いをしていました。依頼していました方がご高齢になり、次の世代の方に草抜きを希望される方がいない状態になり2020年から境内(墓)の掃除が難しくなったことが主たる要因です。境内(特にお墓)の清掃として1年の内おそよ8が月延べ160日(1日6時間労働)ほどこれまで高齢者(シルバー)人材センター様に登録されている方々に境内の清掃をしていただいていました。お寺側の身勝手な思いでありますが、お同行の皆様のお力をいただき境内(特にお墓)がこれまでのようにきれいな環境を保てることを願う行事です。
各位のそれぞれのご事情もありますので、お身体の状況をお考えていただきお時間が許しましたら一緒に境内をお掃除しませんか。
Temple Morningは、境内(外)の掃除に集中してすることで気持ちを整える時間です。
お一人お一人十分なほど距離をとることは可能です。

どうかご無理のないお気持ちでご検討をいただきますよう、よろしくお願いいたします。

年6回 第3日曜日午前8時から1時間【1月・2月・3月・7月・8月・12月は休会・雨天中止】
4月20日(4名参加)・5月18日・6月15日・9月21日・10月19日・ 11月16日
清々しい朝の1時間 お寺で過ごしませんか

創建350年にむけて

法苑院妙華寺創建350年に向けて

久居(藩)は、藤堂高通が寛文10年(1670)に野辺野高台に造成した城下町です。城下東北の一角に寺町を設け、二ノ町と本町の北端に八幡宮(現久居神社)を設けました。高田派(当時は専修寺派と呼ばれる)の寺院(法苑院妙華寺)を設けることが実現し、藩主の菩提寺の西隣に、延宝8年(1680)に敷地が与えられ、福井県西光寺の僧自信を招き、寺院活動が初まりました。

久居藩の開藩350年は、令和2年(2020)に執り行われました。
法苑院妙華寺が創建され今年で345年 5年後に創建350年を迎えます。
どのように迎えるか、お同行様とともに考えたいと思います。

昭和53年に創建300年は、前々住職が同行の皆様とともに行事を執り行いました。

聞法

聞法
自坊のお寺の行事でお勤めのあと、布教使様に法話をお願いしています。
お同行様が熱心に聞法されている姿に頭がさがります。ただ、私(住職)は、お勤めのあと法中への接待や雑用でゆっくり、布教使様の法話を聞法することが難しく、後ほど録音した法話を聞くことが多く、反省することしきりです。

5月5日、薫風の中、奈良県田原本の本願寺派浄照寺様の報恩講に伺う機会がありました。布教使は葛野洋明先生で、妙華寺の報恩講でもご法話をお願いしています。
報恩講の初日の午前のお勤めは満堂で、引き続きのご法話でした。絵伝の法然聖人から親鸞聖人が「選択本願念仏集」の書写を許された場面から、真宗の要であります「他力本願」についての法話でした。仏の願いが私にとって、どれほどのものか。布教使様が育てられてきたことからのあたたかいエピソードを交えての法話でした。自坊とは違い、1人の聞法者としての時間はとてもありがたい時間でした。私(住職)にとって聞法できる時間を限られています。聞法の時間を大切にしていきたいと感じています。
※中川個人の感想です。