10月のおてらおやつクラブ

10月のおてらおやつクラブは、22日に支援団体様24日に一人親家族様にお送りいたしました。
今年も、12月2日の報恩講のお非時(ひじ)にこども食堂を併設します。
今年の夏前にお同行の豆腐屋さんが廃業されました。これまでのお非時の飛竜頭や豆腐の味噌汁をどのようにするか思案中です。

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また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は来年1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

 

 

秋千部会お勤めしました

秋の気配を感じるこの頃ですが、衣替えをしてからの法会で少し暑さも感じる中、秋の千部会をお勤めさせていただきました。

今回のご法話は、私の「いのち」の終わりについてどのように感じていくかお話されました。生きているのが当たり前と感じているとどうなるのか考えさせられました。
今私の中で感じていることで、「お寺の行事は、毎年同じ時期に同じ法会でお勤めをしています。いつも同じと思ってしまうとマンネリに感じますが、その時その時が一期一会であることを忘れてしまっているのかもわかりません」にも通じることとのように思いました。
1日1日を生きていくことの尊さをもう一度深めていきたいと思いました。
ご法話の後、秋彼岸会に続いて、「もしもの時どうすれば?」セミナーを開催しました。
主催は、前回と同じセレモニー会館の斎奉閣(さいほうかく)さんで、斎奉閣オリジナルの『ご葬儀の進め方』(無料配布)をお渡ししておよそ1時間のセミナーでした。
大切な方がお亡くなりになることを考えたりすることは、憚れると感じてしまいがちですが、大切な方と元気な時に一緒に考える時間を持つことはあっても良いとも思いました。後継者が一緒に暮らしていない状態が長く続いている場合や、後継者がいらっしゃらない場合は必要なこととも思います。

 

妙華寺でご法話をご聴聞できますのは年5回の行事の時だけです。12月2日の妙華寺の報恩講では、豊橋市の正太寺の住職 大河戸悟道(おおこうどごどう)師をお迎えさせていただくご縁をいただきました。

布教使様それぞれの味わいをお聴きさせていただくことができるご法話は、限られた人生の中で自分自身を見つめる貴重な時間と思います。お寺の行事にご参加され、ご一緒にご法話をご聴聞しましょう。
また、ご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただきます。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご聴聞いただきますと記念の品をお渡ししています。

もうすぐ久居ができて350年

久居城下案内人の会様が、久居藩350年記念として『久居のお殿様』椋本千江著を出版されました。
久居藩主の初代髙通(たかみち)から16代髙邦(たかくに)までを分かりやすく紹介されています。
津藩の分家として久居藩がつくられたのは、当時の考え方で「お家断絶」にならない為の方策で、久居藩藩主の中から4人が津藩藩主を嗣いでいます。

久居藤堂藩の菩提寺は隣の玉せん寺さんです。当初の寺号は「玉泉寺」で「ぎょくせんじ」の読みでしたが藤堂家が「泉守」でしたので、「泉」から「布施」の「施」の「方」を「氵」にして「せん」と読むようになったようです。久居藩の歴代の位牌やお墓があります。
また、この本の終わりには久居城下案内人の会様のこれまで10年間の活動記録も記されており、今後もご活躍を念願いたします。

 

続いて、少し前に深谷克己先生に「久居」の由来について伺っていました返信が届きました。久居の由来について『勢陽五鈴遺響』(せようごれいいきょう)と言う江戸時代末期に完成した伊勢国(現・三重県)に関する地誌までしか今のところ遡れないとお教えいただきました。

久居城下案内人の会の皆様、深谷克己先生には、改めて久居について勉強できる機会を与えていただきありがとうございます。

※ 深谷克己氏は、三重県津市久居出身の早稲田大学名誉教授・近世史学者で、多くのご著書があります。妙華寺の本堂が平成16年に国の有形登録文化財に指定された記念に「法苑院妙華寺縁起」の原稿をお願いし、お寺(妙華寺)と久居のことを詳しくお書きいただきました。

来年(2019)5月18日の「お寺の講演会」のご講師のテレビ出演の紹介

浦上哲也師のテレビ出演紹介

浦上哲也さんは、来年(2019)5月18日の「お寺の講演会」のご講師です。
少し早いのですが、ご講師の浦上哲也師が、10月26日(金)のETVの20時からの「明日も晴れ!人生レシピ」の中で、

新しい取り組みをされている僧侶の一人として紹介されることを知りました。
ご講師の今を知り、来年のご講演を楽しみにいたしましょう。
番組の中でも紹介されます浦上師の取り組みの1つ「死の体験旅行」は、妙華寺でも平成27年5月18日の婦人会総会の日に希望者に受講していただきました。

浦上師のお寺のHPで番組のことを紹介されていま文章を掲載させていただきます。
【ちいさなお寺 倶生山 なごみ庵 https://753an.blog.so-net.ne.jp/ 2018-10-20掲載】
 「修行」をテーマに色々なお寺を取材していたようなのですが、なぜか修行の無い浄土真宗の私のところにも取材にいらっしゃいました。どうやら「修行」と平行して、お寺の現代的な取り組みという部分のようです。
 また、お坊さんQ&Aハスノハや「自死・自殺に向き合う僧侶の会」で一緒に活動している浄土宗の東さん、ハスノハの共同代表の堀下さんも取材をお受けになったようです。
 告知VTRを見ると、私の部分が全面カットにはなっていないようなので、ご紹介させて頂きます (^_^;)
スタジオにはゲストとして、浄土真宗僧侶であり宗教学者でもある釈徹宗先生がいらしているようなので、どんなコメントが頂けるか楽しみです。
 ぜひ10月26日の20時、また11月2日の11時に再放送されるようですので、お手空きの方はご覧頂ければ幸いです (^人^)

丁度、12月にお配りする予定の「お寺の講演会」のチラシの最終稿が届けられました。
来年(2019)5月18日(土)の「お寺の講演会」では、『「適当」に生きるススメ』の講題でご講演をいただきます。

その後、妙華寺衆徒と対談も予定しています。

 

 

秋千部会は10月27日(土)13時30分からお勤めします

【千部会の西余間の荘厳】

永代経法会というと、亡くなられた方が少しでも早くお浄土へ往生させてもらうための供養法事と思いがちですが、大きな考え違いです。この法会は、亡くなられた方が、後に残った私たちに「仏法を聞きなさい」「お念仏を申しなさい」と呼びかけてくださる大切な仏縁であります。私たちが亡くなられた方へではなく、すでに浄土に往生された亡くなられた方が私たちの為にしていただく法会であります。

妙華寺では、永代経冥加金をお納めいただきますと、現在、永代千部会(えいたいせんぶえ)として春は4月29日(祝日)、秋は10月第四土曜日に、西余間(向かって左の余間)に加入されましたご法名を法名帳・法名軸を掲げてお勤めしています。
また、お勤めの後ご法話をお聴聞していただけます。
10月27日の秋千部会のご法話は、明通寺の佐波真教師です。

ご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただきます。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。

ご法話は、その時、その場所で布教使様とお聴聞されていますお同行の皆様とが共に仏徳讃嘆されることで成り立つお話しです。その臨場感はその空間でしか味わえない法悦(ほうえつ)を感じます。

また、お寺の行事の時は、ご聴聞されるお同行の皆様と共に、行事のお手伝いをしていただく方々もいらっしゃいます。お堂にお入りいただいた所の帳場ではお同行の皆様方が仏様へお供えいただきましたご懇志を各行事ごとに懇志帳に全て記帳していただいております会計担当のお同行様がいらっしゃいます。皆様のご懇志は、妙華寺にお預かりさせていただき、今後の妙華寺の護持、阿弥陀仏の「み教え」を伝える一助にさせていただいています。

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土高僧和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。

浄土高僧和讃 源空聖人 第04首

曠劫多生の間にも 出離の強縁知らざりき
本師源空いまさずば この度空なしく過ぎなまし

久遠の昔から幾度となく生まれ変わって、この世に生を受けた間にも、煩悩の束縛から解き放つ強力な働きかけを知らずに過ごして来た。わが師源空上人がおられずしては、今のこの生涯も、空しく過ぎてしまったことであろう。

多生は、幾度も生まれ変わること。
出離の強縁は、迷いの世界から抜け出るための強力なよりどころ。強縁は増上縁と同じで、弥陀の本願を指す。
「な」は、完了を表わす「ぬ」の未然形である。

以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

はかり知れない過去遠々より、生まれ変わり死に変わりして迷いの生死を繰り返しつつも、今日に至るまでこの生死より出で離れる強い縁となるところの本願力に遇うことなくして過ぎました。もしもここに本師源空がこの土にいでまさなくしては、このたびのかけがえのない一生も、手を空しくして過ぎ終わるという絶望的な悲しみにさいなまれることでありましょう。
生死流転の身であったことを知るのは、生死を出離することのできたときに、はじめてその恐ろしさに目覚めるのです。源空自らも叡山にあって日にち念仏しつつも、その念仏でたすかったというところに身をおくことができずに、いらいらしていたのです。
もだえ苦しみを『黒谷上人語灯録』巻15のうえに聞きましょう。
(『黒谷上人語灯録』巻15略)
悲しみの極まりにおいて、善導の文言が眼を射たのです。何度も通過しつつ、今はじめていのちが燃えたのです。本願の念仏に触れて、善導の声を聞いたのです。たすかりたいの念仏でなく、たすけられてあることのかたじけなさが、本願によって証知されたのです。源空の善導一師としての仰ぎ方は、ここに根拠があるのです。一声一声の念仏を通して、如来から摂取不捨と捨てられていないとの感知は、善導と源空との出遇いを呼び起こし、更に具体的にあざやかな形で、源空と祖聖とのめぐり遇いのうえに将来されたのです。本願念仏の人には智慧光の力があって、道を求める人を招き寄せずにはおきません。

以上【浄土高僧和讃講話 川瀬和敬著より】

10月27日「もしもの時はどうすれば?セミナー」開催します

行事のご案内(どなた様でもご参加いただけます)

秋千部会 10月27日(土曜日)本堂にて
午後1時30分からお勤め
続いて、法話 明通寺 佐波真教師
ご法話をお聴きいただきますと法会参加票に押印させていただきます。
10回ご参加されますと記念品をお渡ししています。

法話終了後(午後3時頃)本堂にて
「もしもの時はどうすれば?セミナー」
(斎奉閣 寺院無料出張セミナー)を開催します
講師 斎奉閣の葬祭ディレクターの資格者
およそ1時間くらいのセミナー
(午後4時頃に終了予定)
斎奉閣オリジナルの『葬儀の進め方』を使用し、もしも身内が亡くなった時、
『どこに連絡すればよいの?』
『どのような手順を踏めば良いの?』
『火葬手続きの仕方は?』など、亡くなられてから葬儀の打ち合わせ前までの
段階を、順を追ってお話させていただきます。
分からなかった事や不安な事がクリアになり、受講後には皆様に安心して
いただいています。
※斎奉閣オリジナルの『ご葬儀の進め方』を受講者様に無料配布します。

資料などの準備の為、「もしもの時はどうすれば?セミナー」に参加希望の方は、
事前にお寺に10月26日まてにお申し込みください。

 

ひとくち法話

―お釈迦様のご生涯―
11一所不住のご生涯(いっしょふじゅうのごしょうがい)
お釈迦(しゃか)さまの究極の目的は、真実の智慧(ちえ)を得ること【正覚(しょうがく)】、心の悩みの炎を消すこと【涅槃(ねはん)】、迷いの世界から抜け出すこと【解脱(げだつ)】、でした。そしてその生活は、み仏の心をいただき、それを人々に説き広めるためのものでした。
毎日の生活も、その目的にそって、朝早く起きて瞑想(めいそう)し、托鉢(たくはつ)し、求めに応じて法を説くことでした。質素な衣と托鉢用の鉄鉢(てつはち)だけで、履き物を用いず、乗り物にも乗らず、雨季の3ヶ月は祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)などに滞在された以外は、町から町へ、村から村へと旅をして、み教えを説き廻られたのです。1カ所にとどまらず、足の赴くままに旅をする、いわゆる一所不住のご生活だったのでした。
しかし、さとりを開かれてからの45年間は、ことに因縁の深かった場所で説法されることが多かったようです。たとえば『阿弥陀経(あみだきょう)』はお釈迦さまが最も好まれた祇園精舎で説かれたと、お経の最初に述べられていますし、『無量寿経(むりょうじゅきょう)』や『法華経(ほっけきょう)』などは王舎城(おうしゃじょう)、耆闍崛山(ぎしゃくせん)〔霊鷲山(りょうじゅせん)〕で説かれたと、やはりお経のはじめに出ています。
その耆闍崛山は、『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』が説かれた王舎城の牢獄(ろうごく)から歩いて3、40分のところにある岩山でした。
こうしてお釈迦さまのご生涯をたずねてみますとき、親鸞聖人(しんらんしょうにん)もまた、京都から越後へ、越後から関東へ、そして帰洛(きらく)へと一所不住のご一生であったように思います。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

10月の花

四季の花 8月・9月境内にある花の紹介を忘れていました。お花を楽しみにされている方には申し訳ございませんでした。
10月に入り、例年ではありますが秋明菊・酔芙蓉がきれいに咲いています。
柿や桜の葉は色づき、台風もあり落葉が早い気がします。四季桜も二華ほど開きこれからが楽しみです。
花の話ではありませんが、お寺の裏の多くの樹木を手を入れずに成長させていました。
樹木の成長する方向は、光を求めることもありお寺の周囲(近隣)にも枝が伸びたりそちら(近隣)に傾きながら成長する樹木もあり、地震や強風で倒壊する場合、周辺にも被害を拡大することも考えられますので、10月に入り、樹木の一部を伐採しました。

 

弁財天坐像と初代坐像

今年は、毎月10日に法苑院妙華寺を紹介していきたいと思います。
初代自信像 一躯 木像 玉眼・寄木・彩色 像髙 43.6cm 江戸時代
弁財天坐像 一躯 木像 玉眼・寄木・彩色 像髙 53.2cm 江戸時代

初代自信上人の像は、妙華寺二代の融海(ゆうかい)上人が作製されました。
毎年、正月の3日間西余間に自信上人像を中心に歴代の位牌、7代からの11代の絵像を掲げています。
現在ある弁財天像は、資料室に安置していますが、初代自信が持参された小さな弁財天像をその後、胎内に入れ今の弁財天像を造ったと聞いています。また妙華寺五代の自運上人が弁財天宮殿を建立されたとありますのでそれ以前かその頃かと拝察しています。
私(住職)が小さかった頃、現在の樹木の元のお墓の当たりが弁天池でした。以前はその池の畔に弁天堂がありそこに祀られていたと前々住職から聞きました。