これからの妙華寺

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これからの妙華寺
先月まで、未来の住職塾で学んだことを振り返ってみました。
今回は、私が住職になってからのことを振り返ってみます。
住職を拝命したのは、12年前の平成18年10月で、まだ前住職も健在でした。
総代の皆様と共に高田本山の「賜春館」にてご法主殿から住職拝命書を手渡された時は

これからのお寺の運営をどのようにしていけば良いのか気が引き締まる思いでした。
その後「これからの妙華寺のあり方」として総代会で話したことは、個人墓地の継承が難しくなるので、

既にある共同墓地の改修と、本堂裏の手つかずの土地を四季の花を楽しめる場所にと提案していました。
そしてその2年後、平成20年9月秋の彼岸会で総代様へ配布した「今後の妙華寺の建造物について」と言う文章が残っています。

親鸞聖人750回御遠忌に向けて本堂などの改修工事に伴うことを念頭に書いた文章です。
【全文】「妙華寺の境内地には、本堂・山門・鐘楼堂・庫裡・書院・茶室・妙華寺会館他住居家屋などの建造物がある。
今後、本堂・山門・鐘楼堂については、文化財的価値のある現状の形で修復しながら保存するのが望ましいと考えている。

庫裡・書院についても内庭と北側の庭園を含めて現状の形で保存を考えたい。
書院と本堂の間に座敷と展示室を新設し、書院から本堂へ出仕が直接できるように考え、

新設の展示室は、妙華寺の法宝物の展示、お同行の方の趣味、故人の遺品の展示もできるような活用を考えていきたい。
今回の改修工事については、本堂の西側の楽間の解体修理、給湯室の解体修理を含めて、書院と本堂を結ぶ座敷・展示室の新設を考えている。
また、一番奥西側にある茶室については、当院10代實明上人が好んだ茶室であるが、

人の流れの導線などに問題があり、使い勝手が悪いため、新しい書院と水屋と写しとして同じ茶室、茶道具の保管室を兼ねた家屋を新築し、

新しい(奥の)書院、既存の書院、新設の座敷及び展示室と本堂の直線的な導線を確保し、

50年ごとの親鸞聖人御遠忌、17年ごとの一光三尊佛御開扉など大きな法要、妙華寺の記念行事に活用することを考えている。
山門の西側に位置する妙華寺会館については、以前より雨漏り、耐震強度の問題などがあるが、修理もせず使用している。

本来なら先に会館の修復を考えたいのだが本堂の修復を第一としているので、後になるが同規模のスペースが確保できる施設を考えたい。

現状の畳部屋も良いが、今後のことを考えていくとフローリング形式で同規模のスペースを確保して、空調についても考えていきたい。

また、報恩講のお非時の時に使う台所についても、現在は隣にある土間の台所も使用しているのでまとめて1箇所で効率よく料理の準備ができる台所として使用できるように考えたい。
他、新しい家族の住居家屋についても考えていく。
また、北側の庭園については、これまで何も手をつけてなく荒れているので今後計画的に手を入れていくと共に、

その北側に植樹をして当初は公園のように整備する予定もあったが、樹木葬送(納骨)のような霊園公園として整備するのも必要と考える。
また、妙華寺の西側は水路で境界がはっきりしているが、水路に面する塀が古い為、新しい塀に改修するのが良いと思われる。」

そして、この10年後、今年平成30年の1月に改めてこの文章を読み直しての文章が下記のものです。

【全文】「今後の法苑院妙華寺」
「10年前に住職が考えていました法苑院妙華寺のあり方から10年後の平成30年に法苑院妙華寺のあり方をまとめます。
平成23年の親鸞聖人750回御遠忌、平成26年の一光三尊仏御開扉と大きな行事が続きました。

平成22年 本堂の耐震工事と書院茶室などの新設(一部寄付)
西側駐車場のアスファルト整備
平成25年 樹木の元の墓地の新設
平成26年 境内トイレ改修、休憩所の新設
平成27年 新庫裡の新設
平成28年 庫裡と妙華寺会館の改修
個人名義の土地を法人へ寄付
平成29年 本堂空調設備の新設と境内墓地通路整備(一部寄付)
西側駐車場の西側に福祉車両用の駐車場を整備
これまでの法人の建造物の改修や新設及び境内の整備については、法人の流動資産(現金)とお同行様の寄付金により支出し、

法人の基本財産が増え、流動財産が減る形になります。今後は、基本財産の減価償却を考えながらの運営も視野に入れていかなければなりません。
そして、今後の大きな行事として、2021年(3年後)に親鸞聖人生誕850年、2029年(11年後)に妙華寺創建350年、2030年(12年後)に一光三尊仏御開扉が予定されています。

以上の「今後の法苑院妙華寺」の文章を読みながらこの10年が瞬く間であったことや、

法人として基盤は財務を適正に管理しなければできないことを感じています。
法人の会計報告は、税理士事務所に依頼し毎年三重県に報告をしています。法人の財務の助言も顧問税理士にお聞きしながら、総代会やお世話方会で報告をさせていただいています。法人としての「妙華寺」の今後については、できれば5年毎ごとに見直しをしていくことが必要と考えています。
4月の総代会では思ってもみていませんでしたが、最近の大阪府北部の地震でブロック塀の倒壊のことが話題になりました。お寺の境内地もブロック塀で取り囲んでいますので気がかりであります。また、火事の時の消防車両の境内地への進入路の確保などには外部から指摘があり、今後は総代会やお世話方会を通してお同行の皆様と一緒に考えいこうと思います。

※大阪府北部地震では妙華寺のお堂行様も大阪・奈良にお住まいの方もいらっしゃいます。遅くなりましたがお見舞い申し上げます。

お盆が近づいてまいりました。

歓喜会(かんぎえ)
お盆が近づいてまいりました。
日本では昔から正月と盆は年間行事として遠く離れた人も故郷に帰り、お墓やお寺に参る習慣があります。

これは亡き人への追慕が佛縁を通して深められたものです。
お盆というと、亡くなった方が還ってくるとか、他宗では施餓鬼(せがき)という法会を勤めますが、正しくは、盂蘭盆(うらぼん)と言う梵語(ぼんご)のウランバナが原語で救倒懸(きゅうとうげん)と訳します。倒懸とは逆さ吊りのことで、大変な苦しみでありすが、その苦しみから救われるというのがお盆です。
『佛説盂蘭盆経』には、目蓮尊者(もくれんそんじゃ)というお釈迦さまのお弟子が神通力で亡き母を尋ねたところ、餓鬼道に墜ちていました。何とか助けようと努力しますが、どうしても救い出すことができず、お釈迦さまに助けを求めました。お釈迦さまは、安吾(夏期研修)終了の7月16日の休養日に僧侶を招き、懇ろにお経をあげてもらいなさいとお諭しをされ、目蓮尊者の母が餓鬼道から救われたとあります。
これらの話から、逆さ吊りの苦は、自己中心の世渡り、自らの苦を増大しているたとえであり、目蓮尊者については、我が子可愛いさのあまり、母親が貪欲にはしったのは、自分に原因があるとの慚愧(ざんぎ)の思いからであると味わいたいものです。

真宗でお盆の法会を歓喜会というのは、自分を振り返って慚愧の中に佛恩報謝をさせていただき、その喜びを信心歓喜しお念仏申すことだと思います。
親鸞聖人は「歓喜」というは、「歓」は身のよろこびで、「喜」は心のよろこびと解説されています。身も心もよろこぶという大変なよろこびを「歓喜」と教えられました。
ではこのような喜びはどんなときにあらわれるのでしょう。親鸞聖人は、「私たちが、佛さまの本願(私たち凡夫を必ずお浄土に救いますという願い)を信じて、お念仏を申す心になったとき、このような大きな喜びが自然にでてきます」と申されました。
すなわち、佛さまからいえば、本願が確かであったという証明であり、私たちからいえば、すべておまかせできたという安堵であり、佛と私が共に喜ぶさまが、歓喜といえます。
また、「歓喜」というのは、私の自力の限りを尽くしても不可能であった人生課題が、佛さまの願いによって氷解した時の喜びですから、日常生活上の喜怒哀楽とは次元の違う大きな喜びであります。

妙華寺のお盆の勤めは、7月12日から15日と8月11日から15日に、地区別にお同行の皆様のお仏壇の前でお勤めさせていただいています。

ご遠方の方やお盆勤めの日程にご都合がつかない方には、お墓でもお勤めをさせていだきますのでご連絡ください。

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日曜学校

7月の日曜学校では、6代真純(しんじゅん)上人を紹介しました。

5代の子息ですが、父自運より先に示寂されています。
久居の大火の後、お寺の再建に尽力される中での心労もあったのかもわかりません。
5代6代の時代は、文政の大火により久居全体も妙華寺にとっても試練の時代と思います。
また、6代が、5代より先に往生する逆縁にどのような心持ちであったか。

お寺の紹介の後、本山のことを紹介しました。
伊勢の名物である「赤福餅」はご存知と思います。包装紙を開けると「伊勢だより」と称される観光地の紹介カードが入っています。この「伊勢だより」の紹介する観光地は毎日違うそうです。その中で6月13日は高田本山にあります「安楽庵」が紹介されています。
5月の降誕会(ごうたんえ)の時に本山の職員に教えていただきました。また、本山の本堂(御影堂と如来堂か)の紹介は1月12日の「伊勢だより」だそうです。丁度お七夜さんの最中ですので楽しみにしたいと思います。

今日7月2日 妙華寺の蓮が開花しました。小さな蕾でしたので咲くかどうか心配でしたが咲きました。

三日間ほど午前中は花が開いていると思いますので見に来てください。