「御影堂平成大修理に想う」『教学院報』2002年3月発行 第25号 「研究員のひとこと」

『教学院報』2002年3月発行 第25号 「研究員のひとこと」
「御影堂平成大修理に想う」
 御影堂平成大修理が、平成12年から始まり2年が経過いたしました。
 専修寺の御影堂が大きいのは承知していましたが、重要文化財の木造建造物で全国で五番目の規模であることを最近知り(教学院報第22号)、改めて巨大建造物を建立した当時の御法主であられた 堯朝上人、堯秀上人、堯円上人を中心に多くの先達の方々には大変なご苦労あられたことと感じています。
 素屋根の中で、昨年瓦を降ろしている作業を見入りながら、現在は多くの機械を使用しながらの作業ではありますが、最後の所は職人の一人一人の手で一枚一枚瓦が降ろされていました。9万枚弱の瓦の中には330余年前の瓦が、今もりっぱに役目を果たしていることにも感慨深い思いがあります。今年の3月までに予定どおり解体が終了し、計画に沿いながら修復に取り掛かるようです。
 また、寺院を中心に発展してきました寺内町の形態も全国的に数少なくなっていると聞いていますが、この一身田では、本山行事・町の行事に住民の皆様方の本山を敬う気持ちは脈々と続いています。
 今の私達ができることは、多くの先達の思いを次代に伝えることであります。新しく修理されます御影堂が、更に念仏申す者の悦びに満ちた空間になるよう修理事務に携わらせていただき、先達のご苦労、今回の平成大修理にも数多くの方々の熱意ある取り組みに敬服している次第です。

※高田本山の宗務院に御影堂平成大修理事務局が開設され、職員として仕事をしていました。ちょうど2年間の解体作業が終了する頃で、4月から修復作業に入る時に掲載させていただきました。高田本山のことや御影堂の建造物としての知らないことだらけの中で岩田修理事務局長や文建協の大城所長に色んなことを勉強させていただきました。同時に教学院の研究員として平松先生を始め、諸研究員の皆様に真宗高田派の法宝物のことや、親鸞聖人のみ教えをお教えいただくことができとても感謝しています。大変充実した日々を送ることができたのは、当時の妙華寺のことは住職に任せっぱなしにできる環境があったからです。
また、この度高田本山専修寺の御影堂と如来堂が文化審議会から国宝への答申があり国宝になります。御影堂の修理事務に関わっていました者としてとてもうれしく感じています。
今住職として妙華寺を次の世代に伝えていくことの大切さを、高田本山の立派に修復された御影堂を見上げて思うことです。

11月の日曜学校

11月の日曜学校も「絵解きってなぁに」のテーマでお話をしました。絵解きは、仏教の教えが描かれた掛軸を中心に多くの方に視覚に訴え、教えを伝えています。日本で絵に表されたお経の代表が『法華教』、『華厳経』と、地獄や極楽に関わる「浄土教経典」です。
掛軸以外にも、お経の内容を表した絵は、写経の見返しにお経の内容を絵にした経意絵や壁画、絵巻、冊子に描かれている場合もあります。

「浄土教経典」の絵解きとして「あの世」人は死んだらどこへ行くの? 身分や宗派、時代を問わず、多くの人々が死後の世界、つまり「あの世」について深く悩み、苦しんできました。仏教では、6つのレベルの「あの世」があると考えられています。上から順に「天道」「人道」「阿修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「そしてご存知「地獄道」。この6つを合わせて「六道」といいます。昔の人たちは、現代のわたしたちよりも、はるかに複雑でやっかいな「あの世」のイメージを抱えていたのです。そして六道の対極にあるのが、仏の住まう永遠の世界「浄土」。特に人気があったのがは、阿弥陀仏がいるという、西方極楽浄土でした。人々は極楽浄土にへ生まれ変わり、永遠の生命を願うのと同時に、六道とりわけ地獄へ堕ちることを猛烈に恐れました。誰だって地獄は恐ろしいですから

そして、私(住職)は 10月18日、龍谷ミュージアムで「地獄絵ワンダーランド」展を拝見しました。今年は、源信和尚の1,00年忌の年に当たり、著書の『往生要集』から地獄極楽のことが取り上げられています。展覧会の地獄絵を見ながら、地獄を他人事のように感じていてはいけません。この私が地獄絵の中のような生き方をしていることをもう一度省みることになります。しかし、地獄の人気投票、水木しげる氏の地獄絵もありとても楽しく拝見できました。展覧会の趣旨をショートムービーで見ていましたら、地獄の灼熱は、翻って浄土の光明になるとのこと考えさせられました。

※12月3日の報恩講では、西余間(本堂の向かって左の余間)に4幅の親鸞聖人絵伝を掛けます。ご法話終了後に、間近に見ていただくことができます。
※妙華寺では、『お寺で体験』の講座で12月24日に親鸞聖人絵伝、2月25日に涅槃図の絵解きを予定しています。

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講演「死を考えるほど追い詰められた方にどのように寄り添うか」

10月27日、三重県こころの健康センター主催の、今年度の相談窓口対応力向上研修に参加させていただきました。参加者は、学校の先生、行政や福祉・医療機関の窓口で働く方が多いように感じました。講師は、東京学芸大学教育心理学の准教授の福井里江氏で、「死を考えるほど追い詰められた方にどのように寄り添うか」~辛さを受けとめ、生きる力をもとに見出すための実践スキル~という講題でした。福井氏は、三重県で昨年から講師としてお話をされているようで今回が3回目の講演だそうです。私(住職)は、初めての参加でしたたがとても分かりやすいお話とワークで勉強になりました。お話の最初に、「(講題に)実践スキルとありますが、相談の最前線では、ノウハウやマニュアルはありません。人としてその人にどう向き合う」かが大切なことであると仰られました。また、「生きる」ことを、呼吸と対話ととらえることも示され、自分の感覚に気づくためにマインドフルネスの効用の紹介もあり、5分ほど呼吸に集中すると会場の雰囲気も変わったように思いました。
講義は、自殺の三要因の中の自殺潜在能力を高めてしまう要因を紹介され、関わり方に焦点をあて対応方法の注意点のお話がありました。まんじゅう理論から見る承認のポイントの話は、私は初めて聞くことで全て理解ができたかと言うと十分ではないですが、「あんこ」と「皮」への質問も紹介されました。今回の「生きる」定義の1つ対話について、水平の対話(外的な対話)と垂直の対話(内的な対話)の紹介がありました。
ワークでは、自分以外の方の話し方やしぐさを知ることも大切であると教えていただきました。死にたい方への支援が大切なのは言うまでもありませんが、その家族への支援も忘れてはいけないことも改めて感じました。
相談窓口を対人支援の最先端ととらえると、僧侶を対象にした宗派の研修に取り入れることも必要と感じました。
※中川個人の感想です。

※この研修の後、神奈川県座間市で、SNSを使って多くの希死念慮者を殺害した事件の犯人が逮捕されました。詳細は調査中で現在被害者の身元が確認されているようですが、全体像はわかっていないようです。 この事件で、希死念慮者の本心をサポートできる安全な場所ができることが早急に望まれます。また、この事件でなくなられた方のご遺族へのサポートもしっかり取り組むことも考えて行かなければいけないと思います。

※希死念慮者についてのシンポジウムに参加しての感想を、お寺のHPのブログ(2016-12-25)に記載したものを再掲します。

「死にたいにまつわる言いたいようで言えないそんな気持ちのもっていきどころについてみんなでいろいろ考えるシンポジウム」タイトルが56字あるシンポジウムに参加しました。「テーマは若者」とあり還暦の私(住職)はどうしょうか思いましたが、昨年は聞くことが出来なかったので参加させていただきました。登壇者は、希死念慮者の対人支援の最前線で活動されている方々で、ライターの橘ジュンさん、精神科医の松本敏彦先生、主催者代表の竹本了悟師、進行役として毎日新聞記者として自殺問題に積極的に取り組まれている玉木達也氏の4名が前半それぞれの活動の中での気になることを共用しながらそれぞれが本音で相手に向き合っていることが伝わってきました。
後半では、会場からの質問に登壇者が答えていくのは、ライブ感のある時間で、ツイッターでのつぶやきもスクリーンに表示されて今の若者には当たり前なのかと思わずにはいられなかったです。一人一人の希死念慮の背景は複雑ですので丁寧に1つ1つ見ていくことの大切さ、社会の中で無関心層を少なくしていくことの取り組みなど対人支援の最前線で活動されている方のお話しは私(住職)には一度に全て理解できないほどのボリュームある内容でした。

ライターの橘ジュンさんは、若い女性の本音(声にならない声)を届けたいことから若い女性と出会ってこられた時に、本人が困っている状況なのに、行政や病院など支援先で本音を出さずむしろ悪ぶって支援を拒否してしまう若い女性達。若い女性が被害に合う前に一時的に避難できる場所が必要とのことや支援を受ける女性が対人支援を行っている男性には心を開くことが出来ない話は実際の活動から見えてくる提案でした。会えば素直に話ができる子と会っても話ができない子などさまざまな女性を少しでも支援先とつなぎたい思いからNPO法人BONDプロジェクトを設立された橘ジュンさんの思いをとても熱く語られました。
精神科医の松本敏彦先生には、依存(症)には、依存してしまう中で自分の存在が確かめることができる場合があるようで、その中に薬物やアルコールなども含まれるし、DVの中の関係性にも見ることができるようです。
自傷行為には、人が信じられないことや、自分に価値がないと言われ続けていたこと、勇気を出して人に頼ったがダメだった経験が、弱い自分を見せても良い場所がなく、死にたいことを、自傷することで自分の中で解決しようとしていること。自傷行為を弱い人間として見るのは間違いで、周りに迷惑をかけたくない思いも含まれていること。
希死念慮者へ「自分を大切に」「命を大切」と言う言葉が届くかと言えばそこには相手に向き合う姿勢が感じられないと難しいこともお聞かせいただきました。
主催者の京都自死・自殺相談センターの竹本了悟師は、面談や電話相談より、メール相談の匿名性によるハードルが下がったことの対応についてや当センターの事業を行っている中で慢性的人的不足に、多くの方がボランティアとして関わっていただきたいこと。僧侶として、どのような死に方にも良し悪しはないことや、ご自身の体験の中で今の時代のあたりまえが当たり前でないことや、私の中にある合理的・効率的とか自分の都合を優先してしまうお話しに考えさせられました。
毎日新聞の記者の玉木達也氏も、マスコミの中の一人として自殺対策へのこれまでの取り組みや今の現状でご自身がされていることを紹介されました。

会場には多くの若い参加者がいました。私(住職)にはそれぞれが抱えている本音を若者からみればおじさん、または老人である私(住職)に話してもらえるかと言えば決して話してもらえないと感じます。そこには関係性をどのように作り出していくかが問題となります。希死念慮者の対人支援を学ぶにあたってもグリーフケアを少しだけ学んだ私(住職)の中では、高いハードルがあるように感じています。それでも自分の中で考えていく事の1つとして大切にしたいです。
※中川個人の感想でもっと大切なこともシンポジウムでは話し合われました。

 

四季の花

四季の花

11月になり暦の上では冬ですが、秋本番と感じています。毎年菊作りを楽しみにされていますお同行様から本堂の前に手塩にかけてお育ていただきました菊の鉢を運んでいただき、ご参詣の皆様の目を楽しまさせていただいています。本当に有難く思います。お寺で、菊を楽しみ、聴く(お聴聞)も楽しんでいただければと思います。
今年は、久居地域文化祭にも菊がたくさん出展されていました。
ツワブキの花も咲いていますが、10月の台風の風で折れたりしています。

【久居地域文化祭での菊の展示】

11月の日曜学校は11月5日です。

11月の日曜学校は11月5日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の朝時のお勤め(重誓偈・正信偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)
今年も後2ケ月になりましたあわただしく月日が過ぎていきますが、お仏壇でお勤めを日曜学校から始めませんか?