境内墓地の通路整備の報告(5月)

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境内墓地の通路整備の報告(5月)

境内墓地の通路整備は、墓地の奥にあたる北西側から通路ごとに順次舗装版を整備しています。4月末までに二区画まで終了しました。
6月から始まる三区画の準備が始まりました。梅雨などの天候で時間がかかる場合があります。

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ご迷惑をおかけしていますが、境内墓地通路整備期間中の東側駐車場の一部を工事車両が使用します。
また、皆様のお墓の前の通路に花入れなどがございましたら申し訳ございませんが片付けさせていただくことになります。

 

生活の中にある仏教のことば

学生(がくしょう)
昔、比叡山での僧侶の身分は学生(がくしょう)、堂僧(どうそう)、堂衆(どうしゅう)に分かれていました。学生は、貴族出身の僧で、選ばれた人々でした。聖人の身分も学生でしたが、仏道修行を目的にした「堂僧」としてつとめられました。
今は大学で学ぶ者を「学生(がくせい)」といっています。

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四季の花

四季の花 梅雨に入る前の頃、知らないうちにシモツケやキンシバイ・ホタルブクロが咲いていました。トラノオは今からが盛りです。

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式の花05月ホタルブクロIMG_4233

四季の花05月トラノオIMG_4231

 

第2回お寺で体験

5月の風 薫風を感じる一日でした。第2回「お寺で体験」を開催させていただきました。6名に方に参加していただき、日本の伝統文化の一つであります「茶道」を通して、「道」についてお話をしました。掛物は、高田派前ご法主様の筆の「功徳大宝海」の紹介をいたしました。お茶の作法を難しいとか、窮屈と感じるか、お茶を美味しくいただく為の方法と感じるか伝える私(住職)の体験を述べました。薄茶を点てる体験はもう少し時間が取ることができれば良かったと終わってから反省しています。次回は秋の10月22日(日)10時から11時30分です。久居の歴史やお寺の歴史をご紹介する予定です。
どなたでもご参加いただけますが、準備の都合上、事前申込をお願いします。
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布教伝道大会

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今年で10回を迎えました布教伝道大会
高田本山の御影堂(みえいどう)で初めて開催されました。お堂で布教使様のご法話を聴聞することは当たり前に感じますが、私(住職)も1年で聴聞できる機会はそれほどありません。
今回は京都市安立寺住職安田真源師、鈴鹿市随願寺松山智道師とご講師の葛野洋明師の3名のご法話をお聴聞させていただきました。
阿弥陀如来のはたらきが既に私の前に示されているのですが、中々頷くことができない私がいます。いつも我執に縛られていることにも気づかない私がいます。私自身が生まれて亡くなっていくことに気がつかなければ、私の人生に如来のはたらきを感じることができないと思われます。お念仏を称えることは簡単でありますが、如来のはたらきに気づきお念仏申す身になるにはお聴聞をし続けることであります。布教使様の語り口やスタイルはお一人お一人の個性がありますが、全て、親鸞聖人のみ教えを通して、阿弥陀如来のはたらきを私たちにお示しいただいています。私(住職)も時間を創って聴聞できる機会を増やしていきたいと思います。
毎日全国のどこかのお寺では法話が聴聞できますが、妙華寺では、1年間に5回のご縁です。身近なお寺で、「後生の一大事」について布教使様の法話をご聴聞しましょう。
今年の妙華寺の報恩講(12月3日)の布教使様は、布教伝道大会のご講師であります葛野洋明(かどのようみょう)師をお迎えできるご縁をいただきました。
ご聴聞をいたしましょう。
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5月のおてらおやつクラブと報告会

2017-05-235月のおてらおやつクラブFullSizeRender

5月のおてらおやつクラブも、一人親家族様、支援団体様におすそ分けさせていただきました。

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5月24日(水)に、奈良市の東大寺でおてらおやつクラブの活動報告会が開催され私(住職)も参加しました。有名な東大寺ですが、私(住職)は、小学校の修学旅行と、自分自身が小学生時代に家族と、そして私(住職)が子どもと共に家族で奈良観光した時に訪れただけです。この日も観光客(修学旅行生と外国人)が多いのと鹿の多さに改めて驚きました。活動報告会の会場は、東大寺ミュージアムに併設されています金鐘(きんしょう)ホールで開催されました。

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4年前の5月24日大阪で母子が餓死されていたのが発見された日です。代表の松島靖朗師はこの事件から「おてらおやつクラブ」の活動を模索されたようです。私(住職)も当時新聞などで事件を知ったのですが、日本の相対的な貧困の現状を知りませんでした。活動報告会は、お勤めから始まりました。「おてらおやつクラブ」の発願の表白文はとても心に響くものでしたし、お勤めも一般の方々にも分かる和訳で述べられ、会場の参加者も一緒にお勤めできるものでした。続いて法話も、法話を初めて聴かれる方にもわかりやすい工夫がされていました。僧侶が主催されます行事でこれほどお勤めが丁寧で心に残るものは私(住職)にとって初めてでした。

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講演は、「もったいない」を「ありがとう」へ  の講題で、食品ロス問題専門家の井出留美氏でした。食品の「いのち」に向き合う中で、「おてらおやつクラブ」の活動に発足まもなくから注目され、ご自身の「食品ロス問題」の活動と「おてらおやつクラブ」の活動が、「いのち」に向き合っていることで活動がこれまで以上期待されていることを話されました。「食品ロス」もこれまであまり気にせずにきた問題です。「食品のいのち」を真剣に考えることの大切さを感じました。
おてらおやつクラブのこれまでの活動の報告を代表の松島靖朗師、事務局の皆様がされて終了しました。これからも多くの寺院の皆様と共に「おてらおやつクラブ」の活動が広まっていくことを念願し、会場を後にしました。
※中川個人の感想です。

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第2回『お寺で体験』のご案内

この度、お寺には日本の伝統文化がたくさん残っています。今、妙華寺に残されたものを通して日本の伝統文化と親鸞聖人のみ教えに触れませんか?として、平成29年4月から7回の『お寺で体験』を予定します。事前申込制(単発も可)でどなたでもご参加いただけます。
予定として【内容は調整中で変更の場合もございます】
月1回(6月・7月・8月9月・11月は休み平成30年3月まで7回予定)
第4日曜日 午前10時から11時30分まで二部制(途中休憩あり)
会費1,000円(当日徴収します) 準備の都合上、事前申込をお願いします。
04月23日 一光三尊佛について                        仏教①
05月28日 お茶(抹茶)の楽しみ・飲み方・点て方      仏教②
10月22日  久居の歴史・妙華寺の歴史         みんなの不安①
12月24日 親鸞聖人絵伝の絵解き 潮音寺住職  村上英俊師
01月28日  お茶(茶室の楽しみ)                     真宗①
02月25日 涅槃図の絵解き 潮音寺住職  村上英俊師
03月25日 花祭りについて・花を愛でる(境内の桜)   真宗②
ご興味がございましたら別紙用紙にてお申し込みください。HPからも申込できます。
                                              法苑院 妙華寺 住職 中川 和則
今回は、お茶(抹茶)について、仏教との関係や、楽しみかた、椅子席での作法を考えたい思います。
3回は、10月22日の予定です。
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ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第8回】お念仏はみほとけの呼び声
法然上人の教えは、誰にでもわかるお話でした。
ほとけになる道に二種あります。ひとつは、自分の努力でほとけになる道です。学問をして賢くなり、戒律を守って生活を正し、きびしい修行に耐えて精神統一をはかり、日夜に読経をして善根を積みます。このような精進によって、心を清らかにして、この世でほとけになっていく道です。これは、遠い道のりを徒歩で旅するようなものです。非凡な知識と十分な体力と苦難に耐えていく精神力が必要ですから、至難な道、「難行道」といっています。
もうひとつの道は、「南無阿弥陀仏と仏の御名を称える者は、必ず救います」という阿弥陀仏の誓いを心から信ずる道です。これは、老少善悪の人をえらばず、どんな愚かな者でもすくわれるから、行きやすい道、「易行道」といっています。
そして上人は話をつづけました。
お念仏は、私たちの願いをみ仏に届ける言葉ではなく、「わが名を呼ぶものは必ず救います」というみ仏からのよび声なのです。だから私たちは、このみ仏のよび声を素直に聞けるかどうか、ここが一番大事なところです。
この他力救済の核心を聞かれた親鸞聖人は、今までに経験したことのない大きなよろこびがわき出てきたのでありました。
「智慧光のちからより 本師源空あらわれて 浄土真宗をひらきつつ 選択本願のべたもう」 『浄土高僧和讃 (源空讃第2首)』と、和讃にもあらわされています。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より
先日18日に「お寺の講演会」で、浄土宗光琳寺の井上広法師のお話と合わせて「法然聖人の教えがなかったら今の日本の仏教はどのような姿であるか」考えもしませんでした。

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親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)

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親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)
親鸞聖人の出自について覚如上人の『親鸞伝絵』に記されていますが、中世の史料には、聖人がいつどこで生まれたか具体的な記述がありません。
宗祖(しゅうそ)親鸞聖人は、承安3年(1173)に誕生されたことは、聖人のお手紙・書物に年齢が記されていますので判明しています。誕生の月日は、1月1日・2月上旬・4月1日、10月の諸説があります。これらは江戸時代に編集された聖人の伝記によるものです。その中で高田派の良空(りょうくう)の『高田開山親鸞聖人正統伝』に記された4月1日(太陽暦5月21日)説が有力になり、定着していき、場所については山城の日野の里に伝承があり今に至ります。また聖人の誕生日の行事として法会が勤まるのは明治に入ってからです。降誕会とは普通お釈迦様の誕生をお祝いする行事ですが、真宗では「親鸞聖人は阿弥陀如来の応現(おうげん)」と頂くところから聖人の誕生を降誕会と言いお祝いの行事をしています。
また、お同行の皆様の喜びの1つに親鸞聖人90歳のお年を「祖師寿(そしじゅ)」と言い90歳になられたお同行の皆様の仏縁を共にお喜び申し上げています。
男性は降誕会の5月21日に、女性は6月の最初の日曜日に開催されます高田派婦人連合大会の式典で表彰されます。このことを励みにされていらつしゃる方もたくさんいらっしゃるそうです。今年は昭和3年(1928)生まれの方が該当されます。
毎年、妙華寺のお同行様も表彰されていますが、今年は、男性・女性共に式典に参加されます。御影堂(みえいどう)での式典はとても栄えあることで、祖師(親鸞聖人)と同じお年まで報恩感謝のお念仏を申すことが有難く、これからも一緒に仏縁をお喜びいたしましょう。
(今年の祖師寿の申し込みはすでに終了しています)
祖師寿についてはご本人またはご家族から菩提寺へお申し込みをしていただきます。詳しくは、年末に発行しています「寺報」をご確認ください。

※五天良空(ごてんりょうくう) 四日市川原田の常超院の住職
親鸞聖人の伝記研究に没頭し、専修寺の古い記録をさぐり、
史料調査で聖人の遺跡を訪ね正徳五年『高田開山親鸞聖人
正統伝』を著した。当時は聖人伝の研究の華やかな時で、
大谷派の慧空・本願寺派の玄智などと論戦が行われた。

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。
浄土和讃 諸経意阿弥陀仏和讃8首
歓喜信心無疑者おば 興諸如来等と説く
大信心は仏性なり 仏性即ち如来なり
 信心を喜び、仏智を疑わぬ人を如来と等しい人であると説く。この大信心は仏になる因子に他ならず、この因子そのものが如来なのである。
※歓喜信心無疑者おば 興諸如来等と説くの二句、他本「信心よろこぶその人を如来とひとしとときたまふ」
※興諸如来等と説く もろもろの如来と等しと読む。華厳経に説かれている。
以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】
 最初の二行は「文明本」には「信心よろこぶその人を如来とひとしとときたまふ」とやさしくなります。『大方広仏華厳経』「入法界品」最後の偈頌に「阿弥陀 観世音菩薩」とか、「如来一音をもって説き、各所応に随って解す」とかあって、一番終わりに「此の法を聞きて歓喜し信心疑無き者、速やかに無上道を成じ諸の如来と等し」とあるより出ているのです。「聞其名号信心歓喜」の座をもって華厳経を読んでいるのですから、「この法を聞きて」というのも所応にしたがって本願名号となっているのです。「信心の人は如来に等しい」という根本主張を、そのよるべとして華厳経に求められたのは、此の経が正覚成就の最初説法の威力に輝き、同時に大乗仏教の高峰として涅槃経と並ぶものであるによります。それだから涅槃経によって如来の讃歌が数首続いているところへ、にわかに華厳経のまたたきを見ますのは、大乗の全景を尽くすためです。
歓喜信心は信心をよろこぶことですが、むしろ歓喜はそのまま信心なのです。二つあるのではなく信心の内実が歓喜です。信心を表現するならば無疑と歓喜としてあるといわねばなりませんが、ともに人間性のどこかから生みだされるものではありません。自力は疑心としてしかありようがなく、煩悩もまた堪能するほどのよろこびを与えますから、その混同をよく警戒して信心の歓喜には白紙で向かわねばなりません。人の生きる条件が不本意にゆがめられようとも、信心のよろこびはそれによってたじろぐものではないのです。
第三行には、「われらが弥陀の本願他力を信じたるを大信心という。無上菩提に至るを大信というなり」との左訓を見ます。菩提心のかけらもないわれらには、たすかる力は自分自身にありませんから、救いは他力として彼方から来ます。如来の本願だけが他力のはたらきをもちます。信心が成就したことが、本願他力なのです。さきの第六首のときに掲げた『涅槃経』文のままにこのようにうたわれるのですが、この第八首の主題は信心が如来だというのですが、これは同時に救うものは弥陀、救われるものは衆生、この二者には絶対の隔絶のあることを離れてはいけないのです。しかもこの救いも大乗の軌道の上を走ります。如来の心がはじめてわれにとどいたよろこびは、そこにうたがいのはいる余地はなく、この信心はもろもろの如来と等しいのだと説かれます。無碍広大の信心は、悉有仏性の仏性そのものであり、その仏性はそのまま如来であって、すべての存在を真実であらしめようとするはたらきなのです。『涅槃経』には「真実は如来、如来は真実、真実は仏性、仏性は真実」と縦横に説かれて、今の和讃にも力を与えます。
以上【浄土和讃講話 川瀬和敬著より】
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