平成28年の年回表

平成28年 年回表
 1周忌 平成27年往生人
3回忌 平成26年往生人
7回忌 平成22年往生人
13回忌 平成16年往生人
17回忌 平成12年往生人
23回忌 平成06年往生人
27回忌 平成02年往生人
33回忌 昭和59年往生人
50回忌 昭和42年往生人
100回忌 大正06年往生人
150回忌 慶應03年往生人
200回忌 文化14年往生人
250回忌 明和04年往生人
300回忌 享保02年往生人
※詳細は、本堂の年回繰出表をご覧下さい
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新年の準備

今年も後わずかになりました。例年の通り新年の準備をしていますが、今回 屠蘇散(清酒に入れてお屠蘇にするもの)が地元の薬局でも見つからずどうなるか考えていました。これまでは、地元のスーパーでも購入できましたが昨年は見つけることができず、薬局を何店か回り求めることができました。今年は見つけることができずに、都会の百貨店の食品売り場や酒屋さんに足を運びましたが見つけることができず、やっと健康食品売り場で求めることができました。年に一度必要とするもので価格も安価で、以前に比べてお屠蘇の需要も少なくなり流通が限られていくのだと思います。今後、手に入れることができなくなる日がくるとすれば寂しいことです。お屠蘇にちなんでお寺で使用している屠蘇入れ(燗鍋)は、高田本山のご紋の五七桐がついています。

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生活の中の仏教のことば

檀那(だんな)
男子に対する尊称の言葉で、一般には、その家のあるじのことで「檀那さん」と使います。
「檀」には、ほどこす、施主という意味があるので、教団では、財物を布施する信者を「檀家」といい、檀家は自分の菩提寺を「檀那寺」と呼んでいます。

 

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平成28年の出来事

平成28年の出来事
① お同行様の代表であります総代様のお一人がご往生されました。先代も総代をしていただいていましたがご往生され、そのご子息様がお引き受けいただき、今の総代様の中で一番お若かったのですが、ご病気療養中の11月23日にご往生されました。お寺の良き理解者として、またご指導いただくこともまだまだ多くありました。思い出すことは、平成11年にお迎えしました一光三尊仏御開扉法会の稚児宿をお引き受けいただきました。当日はあいにくの雨になり、稚児練りは中止で本堂内を回っていただくことになりました。
また、5月14日に前住職の7回忌をお勤めいたしました。3回忌を勤めた時に7回忌まで4年も時間があると思っていましたが、時間が経つのが早いと実感しています。
そして、8月29日は前々住職の36年目の命日でした。これからのことですが考えて見ますと、13年後は前々住職の50回忌の年にあたります。その年は、妙華寺が創建され350年になる年でもあることに気付きました。
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② 庫裡と妙華寺会館の改修と本堂上がり階段に手すりを設置
 今使用しています妙華寺の庫裏は、昭和3年に前々住職が結婚する前に建てられました。
当初、8間×5間で襖で、仏間・客間・居間・寝室・玄関上がり口・茶の間(食事をする場所)の6部屋に区切られています。続きの土間に食事をつくる台所があり、私が生まれた時、風呂場も土間にあり、トイレは別の場所にありました。私が小さかった頃もそのような空間の覚えがあり夜トイレに行くのが怖かった記憶があります。食事をつくる台所が土間から板の間になり、ちゃぶ台からテーブルの食卓になり、五右衛門風呂から、現在に通じる風呂場に変わりました。前住職の代になり、玄関の改修、トイレも日本式から洋式に変わりました。平成に入り屋根瓦を葺き替えました。今回の改修では、これまで手を入れてなかった襖で区切られていた5部屋(仏間・客間・居間・事務室・玄関)の部分で、壁面を新設し板の間にしました。畳をめくり床の下をのぞいてみますとシロアリの影響がひどく床下の束(つか)からの改修になりました。
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妙華寺会館は、昭和10年に茶所として作られました。戦後のいつからかはっきりしませんが昭和40年頃までは、三重県の久居食糧事務所として使用していました。前住職が、その後改修して、畳敷き36畳の広間として、葬儀式場・会議会場・お非時会場など妙華寺会館として活用しています。阪神大震災後に建物の耐震診断をしましたら耐震基準に達していませんので心配をしていました。この度、屋根瓦も傷んでいますのでスレート葺きにして、壁面を新設し、空調設備を入れ畳敷きから板の間にすることにいたしました。広さは今まで通りですので、葬儀式場・会議会場・お非時会場などとして活用いたします。 先日の報恩講のお非時会場として使用しましたがお越し頂いた皆様に腰に負担がなくなり好評でした。

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 10月には、本堂の階段に昇降の補助として手すりを設置しました。
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③ 初めて法話大会の開催をいたしました。
妙華寺の本堂にて京都若手僧侶法話勉強会様の主催の布教大会が行われました。
およそ50名の方々がご聴聞に駆けつけてくださいました。
最初にお勤めがあり、出勤僧侶は、西本願寺の方が多く普段唱和されない「文類偈」の節を心配されていましたが、堂内の大勢の大きな声で一緒に合わせて唱和されていました。
ご法話される若手の4名は、少し緊張の趣で始まりましたが、落ち着いた口調で自分の経験を交え、阿弥陀様のはたらきを讃嘆され、最後に会の代表の中西正導師(本願寺派布教使)がまとめられました。その後、茶話会では、お茶とお菓子をいただきながら若い僧侶が、ご聴聞された方お一人、お一人のお話しをお聞きしたり、お尋ねに丁寧にお答えしていました。平素のお勤めの後に私(住職)とお同行の皆様との話より活発な会話で私に課題を与えていただいた感じです。
ご聴聞をいただきました皆様には、お同行様をはじめ、地域の方々、河芸の満願寺様の坊守様と婦人会の皆様や、近隣のご住職様にもお越しいただき大変感謝申し上げます。
また、京都若手僧侶法話勉強会様には、遠方より三重県津市久居の妙華寺までお越し頂き、布教大会として4名のご法話をご聴聞できることを楽しみにしていました。
現代は、仏教のこと、親鸞聖人のことなど、書籍やメディアで知ることもできますが、ご法話を聴聞することは、布教使様とご聴聞する私たちが一体となり、仏徳讃嘆を作り上げているように感じます。布教使を目指している若い僧侶と共にお育ていただいた時間となりました。

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※番外 高田本山の行事 伝灯奉告法会・一光三尊仏御帰山法会・本寺御復座法会
高田本山の行事ですが滅多に遇うことができない行事が続きました。
高田派第25世ご法主として、3月の一光三尊仏御帰山法会の前に伝灯奉告法会を三日間お勤めされました。お手伝いの一員でしたので御影堂での法会に出勤できませんでしたが、真宗各派のご門首様・宗務総長様がお祝いにご来山されますことは御遠忌法会以来で賑やかな法会でした。
 平成28年3月31日(木)~4月2日(土)の一光三尊佛お送り本寺御復座法会参拝の旅に妙華寺として3名参加させていただきました。
本寺には何度か行ったことがありますが、一光三尊仏の御復座法会に参詣するのは初めてでした。約150名の参加で、今回は天気にも恵まれ、本寺の桜も満開の中での法会でした。
10年ぶりの本寺ですが、本当に心が落ち着くというか一身田の本山とは違う空気に覆われているような感じです。私には、親鸞聖人の御廟が感じさせているように思います。
聖人の御歯骨が納められている御廟の間近で手を合わすことができるのは本寺ならではの魅力です。4月1日の午後の法会で、前御法主様の御親修・御親教にあうこともうれしい時間でした。法会の期間中、涅槃堂の前では、誕生仏に甘茶をかける花祭りもあり、宝物の展観もあり有意義な1日でした。次に三尊様にお遇いできるのは、14年後の平成42年(2030年)。できることなら、参詣できればと思い帰路につきました。
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修正会(しゅしょうえ)は午前5時30分からお勤めします

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修正会(しゅしょうえ)
お正月に修する法会で修正会と言います。
年のはじめに心を新たにして佛前に座し合掌礼拝し、お念仏を申し上げます。
法苑院妙華寺では、元旦午前5時30分からお勤めをしています。
ご高齢の方が、以前は家族で、氏神さんの野辺野神社に初詣でをして、菩提寺の修正会にお詣りをして、お墓にお詣りし、家に帰り家族で新年の挨拶をされたとお聞かせくださいました。
 お勤めは、『鎮国文』・『重誓偈』・『正信偈』・『現世利益和讃』・『念佛』・『廻向文』で
『繙御書』を拝読いたします。
修正会には、必ず『繙御書』(ひもときのごしょ)を拝読いたします。ひもとくとは、巻物をひもとくという意味です。一年の始めに拝聴する御書のことです。この御書は、本山第18世の圓遵(えんじゅん)上人がお書きになりました。一年の始めにあたって忘れてはならない仏法の要をわかりやすく説かれて、求道のこころを諭してくださっています。
その要旨は、
【一】生者必滅の道理。寿命は老少不定(ろうしょうふじょう)の世の中だから、新年を迎えて喜んでもいつの間にか夏がきて、秋暮れて、また一年が経ってしまう。一日一日を無駄に過ごさぬよう。
【二】身にしてはならぬこと、口にしてはならぬこと、心で思ってはならぬことがある。因果応報の業道(ごうどう)は、秤(はかり)のように必ず重い方に牽くから身(しん)・口(く)・意(い)の三業(さんごう)を常に慎むこと。
【三】煩悩いっぱいのわれらは、他力念仏の法に依らねば浄土往生は不可能です。この道を誓われた阿弥陀仏、この教えを伝承されたお釈迦様と七高僧の広大な恩徳に報謝せよ。
【四】先ずは父母孝養(ぶもきょうよう)の心を第一とし、父母存生(ぞんしょう)の日は孝順(きょうじゅん)を先とし、没後は法事を怠ること無く報恩につとめよ。そして、六親眷属(ろくしんけんぞく)むつまじく、互いに信心をみがきなさい。とあります。
 最近は、キャンドルモーニングと称して、修正会が始まる前にろうそくに火を灯し境内の参道を照らしています。
  参加者に念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるように用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)
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四季の花

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四季の花 今年は早咲きの椿が咲かずにいましたが咲いていることに気づきました。ロウバイも小さな花の蕾がつき出しました。水仙は先日の雨と強風で倒れているのが多くて残念です。

 

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タイトルの長いシンポジウム

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 「死にたいにまつわる言いたいようで言えないそんな気持ちのもっていきどころについてみんなでいろいろ考えるシンポジウム」タイトルが56字あるシンポジウムに参加しました。「テーマは若者」とあり還暦の私(住職)はどうしょうか思いましたが、昨年は聞くことが出来なかったので参加させていただきました。登壇者は、自死念慮者の対人支援の最前線で活動されている方々で、ライターの橘ジュンさん、精神科医の松本敏彦先生、主催者代表の竹本了悟師、進行役として毎日新聞記者として自殺問題に積極的に取り組まれている玉木達也氏の4名が前半それぞれの活動の中での気になることを共用しながらそれぞれが本音で相手に向き合っていることが伝わってきました。
後半では、会場からの質問に登壇者が答えていくのは、ライブ感のある時間で、ツイッターでのつぶやきもスクリーンに表示されて今の若者には当たり前なのかと思わずにはいられなかったです。一人一人の自死念慮の背景は複雑ですので丁寧に1つ1つ見ていくことの大切さ、社会の中で無関心層を少なくしていくことの取り組みなど対人支援の最前線で活動されている方のお話しは私(住職)には一度に全て理解できないほどのボリュームある内容でした。
 ライターの橘ジュンさんは、若い女性の本音(声にならない声)を届けたいことから若い女性と出会ってこられた時に、本人が困っている状況なのに、行政や病院など支援先で本音を出さずむしろ悪ぶって支援を拒否してしまう若い女性達。若い女性が被害に合う前に一時的に避難できる場所が必要とのことや支援を受ける女性が対人支援を行っている男性には心を開くことが出来ない話は実際の活動から見えてくる提案でした。会えば素直に話ができる子と会っても話ができない子などさまざまな女性を少しでも支援先とつなぎたい思いからNPO法人BONDプロジェクトを設立された橘ジュンさんの思いをとても熱く語られました。
精神科医の松本敏彦先生には、依存(症)には、依存してしまう中で自分の存在が確かめることができる場合があるようで、その中に薬物やアルコールなども含まれるし、DVの中の関係性にも見ることができるようです。
自傷行為には、人が信じられないことや、自分に価値がないと言われ続けていたこと、勇気を出して人に頼ったがダメだった経験が、弱い自分を見せても良い場所がなく、死にたいことを、自傷することで自分の中で解決しようとしていること。自傷行為を弱い人間として見るのは間違いで、周りに迷惑をかけたくない思いも含まれていること。
自死念慮者へ「自分を大切に」「命を大切」と言う言葉が届くかと言えばそこには相手に向き合う姿勢が感じられないと難しいこともお聞かせいただきました。
主催者の京都自死・自殺相談センターの竹本了悟師は、面談や電話相談より、メール相談の匿名性によるハードルが下がったことの対応についてや当センターの事業を行っている中で慢性的人的不足に、多くの方がボランティアとして関わっていただきたいこと。僧侶として、どのような死に方にも良し悪しはないことや、ご自身の体験の中で今の時代のあたりまえが当たり前でないことや、私の中にある合理的・効率的とか自分の都合を優先してしまうお話しに考えさせられました。
毎日新聞の記者の玉木達也氏も、マスコミの中の一人として自殺対策へのこれまでの取り組みや今の現状でご自身がされていることを紹介されました。

会場には多くの若い参加者がいました。私(住職)にはそれぞれが抱えている本音を若者からみればおじさん、または老人である私(住職)に話してもらえるかと言えば決して話してもらえないと感じます。そこには関係性をどのように作り出していくかが問題となります。自死念慮者の対人支援を学ぶにあたってもグリーフケアを少しだけ学んだ私(住職)の中では、高いハードルがあるように感じています。それでも自分の中で考えていく事の1つとして大切にしたいです。
※中川個人の感想でもっと大切なこともシンポジウムでは話し合われました。

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※僧侶として「自死に向き合う」ことが大切であることは分かっていますが実際「自死に向き合う」ことを考える時間がこれまでにあったでしょうか?
お寺の住職・寺族としてお檀家様・お同行様と寄り添う中で、自死念慮の方や自死のご遺族の方々とお会いすることがございます。その時本当にその方々の思いに寄り添えているか悩んだり考えることはありませんか?
この度、京都自死・自殺相談センター様にお願いしましてSottoの活動の1つとして、出前研修を開催させていただくことになりました。
今回は、僧侶及び寺族の皆様を対象としまして、「自死」のさまざまな場面に対面した時の簡単なワークを取り入れた学びを考えています。
僧侶の皆様の中でも各地で自死念慮者・自死ご遺族の方のサポート活動をされているグループやネットワークに参加され研修されている方々もいらっしゃいると思いますが、もう一度基本を見直してみませんか。もちろん初めての方も歓迎いたします。
会場の都合でご参加いただける方は事前にお申し込みをお願いします。
 日時 平成29年2月10日(金)午後1時30分から午後3時頃
講師 京都自死・自殺相談センターSotto事務局で調整中
会場 妙華寺会館 三重県津市久居二ノ町1743番地 法苑院妙華寺内 
対象 僧侶及び寺族  会場の都合で20名まで
会費 2,000円(領収書をお出しします)当日徴収させていただきます。
申込先 HP(myoke-ji.com)のお問い合わせ(メール)に、 ご参加されます方のお名前・ 宗派・所属寺院名・ ご連絡先を記載されお申し込みください。

ひとくち法話

高田本山の法宝物(たかだほんざんのほうほうもつ)
私たちの「真宗高田派本山 専修寺(せんじゅじ)」には、親鸞聖人にかかわる法宝物がたくさん残されています。
親鸞聖人直筆の『三帖和讃(さんじょうわさん)』や『西方指南抄(さいほうしなんしょう)』等は国宝です。重要文化財としては、著書関連の他に只今大修理を行っている建物の御影(みえい)堂や美術品など計20数点に及びます。この他、三重県や津指定の文化財も史跡も多くあります。
高田本山にはなぜこんなに多くの法宝物があるのでしょうか。
高田派は、聖人が関東の高田に本寺専修寺を建立されたことがはじまりで、直弟子の真仏上人や顕智上人が「真宗の法義」を正しく相続されて関東最大の教団となりました。したがって、その当時の法宝物が当然のことながら高田派にこのように多く残されているのです。
そして第10世真慧上人がここ伊勢一身田に本山を移されたときに法宝物も一緒に移されたのです。
以上の法宝物はいわば「形のある財産」ですが、その中には真宗の教えが流れていることを忘れてはなりません。いずれも、真宗のお念仏を後世に伝えるためのものであり、また750年の歴史の中では、善知識(ぜんちしき)をはじめ多くの先輩やお同行たちがこれを守ってこられました。私たち現世に生かされる者は、この法宝物とそのご法義を後世に相続しなければならない義務があると思います。

※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

※平成28年現在、高田本山に所蔵されています専修寺文書306通や境内の諸堂・建造物の多くも重要文化財になりました。

 

 

12月のおてらおやつクラブ

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12月のおてらおやつクラブ
12月に入り、松阪市のお寺様からおてらおやつクラブについてお話しを伺いたいとお電話があり、3ヶ寺のご住職様と早速お会いしました。おてらおやつクラブの活動を始めるにあたってお寺のお同行様へのご理解やご協力などの取り組みについてをお尋ねになられました。妙華寺では、おてらおやつクラブの活動の前に、古本勧進を始めるにあたり、お同行様にある不要な古本をお出しいただき東日本大震災で被災されました子ども達の教育資金の一部として(今年の1月からは一人親家族の支援団体への)寄付にすることをご理解いただいていました。おてらおやつクラブの活動につきましては、これまで通り、お同行様から佛様へのお供えを、おさがりとして、一人親家族へおすそわけさせていただくことですので、お寺からは寺報やHPで報告をさせていただいていますとお話しいたしました。
来年には、松阪市のお寺様の仲間と話し合って、おてらおやつクラブの取り組みも提案されるようです。近くの地域でも、おてらおやつクラブの活動が広まることは大変うれしく思います。
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12月もお供えのおすそ分けをさせていただきました。支援団体様は23日にクリスマス会を行うとお聞きしていましたので、子どもさん達に楽しんでいただけたらと思っています。
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 また、一人親家族の支援団体様への寄付となる「古本勧進」もやっています。
次回の発送は来年1月の末です。
ご家庭で不要になりました本がありましたらお寺にお持ちください。
12月も11月・10月に続いてお同行様から不要な本をご持参いただきありがとうございます。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土高僧和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。
浄土高僧和讃 善導大師25首
弘誓の力をかぶらずは いづれの時にか娑婆を出でむ 
佛恩深く思ひつつ 常に弥陀を念ずべし 
 弥陀の広大な本願力を蒙らずして、いつこの迷いの世界を脱出することができようぞ。弥陀の御恩を深く思いつづけて、常に称名念仏せねばならず。
※「かぶらずは」の「ず」は「ずして」の意と見てよく、「は」は清音で係助詞であること、橋本進吉博士に説がある。
※「思いつつ」は、思いつづけることで、臆念相続の意。
以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】
 今まで第一行「かぶらずば」と読み習うてきましたので、いつしかその発音に戻り易いのですが、教えられるままに「かふらずは」と濁点を取って読みます。『般舟讃(はんじゅさん)』の、 或はいわく今(きょう)より仏果に至るまで、長劫(じょうごう)に仏を讃じて慈恩を報ぜん。弥陀の弘誓の力を蒙(こうむ)らずしては、いずれの時いずれの劫にか娑婆を出でん。
との文によります。弥陀願力の恩は、大師の言々句々に貫通しております。
 弥陀の大きく包容摂取する本願力をこうむることなくして、いつどのような時にこの煩悩の尽きない娑婆界を超え出でることができましょうぞ。弥陀願力の恩を深く長く思いめぐらして、常に弥陀に念ぜられつつ称名念仏するばかりであります。
 「娑婆」については今の『般舟讃』にも「娑婆長劫の難」と見えるように、大師においては浄土に対面して真の在所ではないという深い思い入れがあったようです。「娑婆を厭捨して仏国を求めよ」というのが大師の本心でありますが、同時にこの娑婆の愛着が捨てられないことをよく知っていられたのです。娑婆は梵語のサハー、又はシャバーの音写にて、忍・堪忍・能忍の意です。堪忍しなければ生きられない、娑婆は思うにまかせぬところといわれます。更に「聖者と共に」の意が加えられて、聖者もしいまさずば悪苦に焼かれて生きられないところと聞いております。紫人と朱人とは長年にわたる親しい隣人。紫人の息男が事故死してその遺骸が帰り、これを弔問した朱人が合掌して「娑婆じゃの」と漏らしたのです。この一言が一切を言い尽くしているのです。悲しみのきわまりないのですが、娑婆の一語が救いをもたらしているのです。当てにならないものを当てにして生きることのなしさがこみあげているのです。眼前の悲惨に戦慄しつつ、これが娑婆のならいと知る人は、驚きを内省せしめます。流れる雲に声あるように、
生死無常のことわり、くわしく如来の説きおかせおわしまして候へ、おどろきおぼしめすべからず候。
と響流するのは、娑婆に対面する浄土あればこそです。娑婆という、わたしの実在を射当てた不滅の用語が、無残にも死語と化されつつあります。このようにして娑婆というこよなき実在用語を捨て、威徳ある他力に不感症となり、生きる生きると叫んで往生の大義を失うのは、どこに業のゆがみがあるものなのでしょうか。
以上【浄土高僧和讃講話 川瀬和敬著より】
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