供養(くよう)と恭敬(くぎょう)

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茶筅供養
(一社)茶道裏千家淡交会三重北支部津南班様の行事として茶筅供養のお勤めをいたしました。
会員の方々が日頃使われています茶筅も何度も使用すると茶筅の穂先が折れたり、すり減ったりしてお茶を点てることが難しくなります。そうなりますと工夫して他の用途で台所などで使用したりしますがそれも難しくなりお役目ごめんとなる茶筅を持ち寄り「茶筅供養」としてお勤めをしてから焚きます。真宗では焚く為の仏具がありませんので、天台真盛宗で使われます仏具を境内にお持ちいただき、茶筅を炊きあげます。茶筅供養の他にも人形供養とか針供養などこれまで十分お役に立っていたものがその役目を終える時に感謝しながらお別れする行事であるように思います。
真宗では「供養」の言葉はあまり使いませんが、同じ意味であります「恭敬」(くぎょう)の言葉があります。
供養(くよう)と恭敬(くぎょう)
供養(くよう)
敬いの心をもって奉仕すること。三宝や父母・師長などに身・口・意の三業をもって供物をささげること。
恭敬(くぎょう)
つつしみ尊敬する意『涅槃経』には「懺愧」あるがゆえに、すなはちよく父母・師長を恭敬す」『高僧和讃』に「恭敬の心に執持して 弥陀の名号称すべし」
高田派でよくお勤めする『高僧和讃』の龍樹讃の6首目の「恭敬の心に執持して 弥陀の名号称すべし」
の「恭敬」の【左訓】に「つつしみ・うやまう」「小乗おば供養という、大乗おば恭敬という」とあります。
恭は、自分を謙遜すること、敬は法を尊敬すること、これによって機を信じ法を信じる信心のすがたとみます。
このことから高田派の先生から、「小乗の法をもって衆生を教化するを供養という、(中略)大乗の法をもって衆生を教化するを名づけて恭敬となす」とお教えいただいています。
 【左訓】(さくん)
聖教本文に対する註記の一種で、説明対象となる本文の左傍に、語句の説明や漢字読みなどを記したもの。和讃など親鸞聖人のご著書や書写本に多く見られる。
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寺報に見る住職の10年の歩み 平成18年

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寺報に見る住職の10年の歩み 平成18年
私(住職)の住職拝命は平成18年10月10日でした。あれから10年、私(住職)はどのように歩んでいるのか、「寺報」から振り返りたいと思います。
平成18年は、平成12年から始まりました高田本山専修寺の御影(みえい)堂の平成大修理中で御影(みえい)堂の屋根の瓦葺きが終わり、素屋根が撤去され、4月から堂内の修復が始まる年でした。私(住職)は高田本山専修寺御影堂平成大修理事務局に勤めながら、お寺の住職として歩み始めた年であります。今思うのは、それができたのも前住職がまだまだ元気であったからだと思います。
 【寺報25号平成18,年12月発行】
 『去る(平成18年)10月10日高田派ご法主様より住職拝命の辞令を受け法苑院妙華寺第12世の法灯を継承いたしました。顧みれば昭和45年に得度して以来36年多くの方々のお育てを受けてまいりました皆様のご恩に対しまして改めて甚々の謝意を表するものであります。しかしながら未だ若輩ゆえ住職という重責を担うには未熟に過ぎることは充分承知致しております。今後とも倍旧のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げる次第です。右(寺報は縦書き)略儀ながら寺報をかりご挨拶申し上げます。 住職 中川 和則』
寺報に初めて私(住職)の言葉が掲載されました。私(住職)の文章の前に時の住職が住職交代をする挨拶文があります。今改めて、私(住職)の文章を見ますと、気負っている姿と、文章に恥じ入る気持ちです。
10月10日高田本山で住職拝命の辞令をいただく前(私は1年前)に、住職補任研修を受けました。当時は、お寺の総代様も研修を受ける為に高田青少年会館(現高田会館の前身)に宿泊していただきました。住職拝命まで1年ほどの時間がありましたのでこれまで前住職が全てしていたお寺の法人としての経理面を少し知ることができました。改めて10月10日の住職拝命式には、時の住職と総代様にも出席していただきました。その後、高田青少年会館で食事をし、時の住職も当時の私と同じ年齢で住職を拝命したことを知りました。
10月は12月発行の寺報の原稿を10月初旬に印刷屋へ原稿を入れ2度ほどの校正で11月中旬に刷り上がり12月の報恩講の案内に同封しています。
また、秋千部会の案内の宛名を手書きでしています。案内文は印刷ですがせめて宛名は下手な字ですが心を入れて書いています。
※寺報に見る住職の10年の歩みは、毎月10日頃に掲載いたします。

 

妙華寺の2つの碑

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妙華寺の2つの碑
本堂の向かって右側に2つ碑があります。
1つは「戦没者慰霊碑」です。この碑は昭和27年4月28日當山同行建立とあります。碑の裏側に86名のお同行様のお名前と発願しました当時の住職や世話人のお名前が記載されています。また、この碑は松阪の田端石材店が造られたようです。昭和27年4月28日に戦没者追弔会が始まり、「戦没者慰霊碑」の前で毎年お勤めをしていました。当時は「戦没者慰霊碑」の前で「阿弥陀経」をお勤めして、ご遺族様やお世話方様の焼香があり、続いて本堂で、「文類偈」・「5首和讃」のお勤めをしていました。次の日から2日間(現在は29日のみ)春の千部会が勤まっています。年々ご遺族様の参詣が少なくなり、平成6年終戦49年目に50回忌をお勤めして戦没者追弔会としてのお勤めは最後になりました。
 もう1つの碑は、「浄土三部石経塚」とあります。隣の「戦没者慰霊碑」と土台が同じ形態ですので建立は昭和27年と思っていましたが碑の裏側に大正10年にあった碑が損害甚だしく昭和12年1月に修繕し直したとありました。この「浄土三部石経塚」の碑は、大変信仰の篤いお同行様が、妙華寺の敷地の小石に浄土三(部)経2万6千6百12文字を書き碑の下に埋めたとあります。また。「浄土三部石経塚」の碑の彫字の元は、法隆寺の管長の佐伯定胤猊下の真筆とあります。
 私(住職)は、この「浄土三部石経塚」とはどのようなものであるかわかりませんでしたが、2016年09月25日の京都新聞のHPで【「一石一字経」復活へ 京都帝釈天、全国から募集】の記事を目にしました。記事によりますと、江戸時代に石に経典の文字を1つ記して土に埋める「一石一字経」というものがあったそうで、紙に書く写経と違い河原などで集めた丸い小石に一字ずつ墨で「お経」の一字を書き写すことが全国的に広まっていたようです。
当時は一人か数人で1つの「お経」を完成させてその場に碑を建てるようでした。多大な労力と費用が必要だったようで近年はほとんど行われていないようです。
 また、今の「浄土三部石経塚」の以前のものと思われる小さな「浄土三部経石塚」の碑もあります(側面にこの碑が造られたのが天明●●年5月5日とあり天明年間の彫字が磨滅して判別できませんが江戸時代に小石に浄土三部経の文字を書いていたご奇特なお同行様がいらっしゃったのでしょう)、今ある「浄土三部石経塚」の碑の場所かどこか違う場所にあった小さな「浄土三部経石塚」の碑を大正10年に新たな信仰の篤いお同行様が、小石に浄土三部経の文字を書かれて碑を造られましたが損傷しましたので昭和12年に今の碑に修復されました。昭和27年に、「浄土三部石経塚」の隣に同じ形で「戦没者慰霊」碑を建立したようです。
※尚以前の小さな「浄土三部経石塚」の碑は、現在、樹木の元でのお墓の中心に据えられています。
【参考】佐伯 定胤(さえき じょういん)慶応3年6月25日(1867年7月26日) – 昭和27年(1952年)11月23日)は、日本の法相宗・聖徳宗の僧侶、仏教学者。
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10月の日曜学校

【お釈迦様の教え】
仏教とは、ひとが幸せになるための教えのこと。
ただ、教典を読んだり、知識として理解したりするだけではありません。
日々の生活で活かすことができる、実践的な教えです。
①縁起(えんぎ)という考え
すべてのものごとは、独立して起こるのでなく、互いに深く関連しあいながら、生じたり、滅したりするという考えのこと。世の中のあらゆるものごとは、互いにかかわりあい、原因と結果の関係でつながっている。仏教の教えの基本となる思想です。
②中道(ちゅうどう)という考え
快楽と苦行、どちらにも傾かない生き方・考え方を中道といいます。「中途半端」という意味ではありません。両極端なものの見方を離れて、バランスの取れた姿をみることが大切なのです。八正道に沿った生活を実践すれば、中道を歩むことができます。
③四諦(したい)という考え
この世の真理には、苦しみが生じてから、それをなくすまでの4つの局面があります。生きることには苦しみがあるということ(苦諦)、その苦しみには必ず原因があるということ(集諦)、その苦しみを乗り越えるところに安らぎがあるということ(滅諦)、その安らぎに至るためには正しい道を歩まなければならないということ(道諦)です。
④三宝印(さんぽういん)という考え
仏教が最も大切にしている3つの真理のこと。
第1に「全てのものはうつり変わる」(諸行無常)
第2に「全てのものには永遠の実体はない」(諸法無我)
第3に「さとりの世界はやすらぎである」(涅槃寂静)
※諸行無常は、因縁によってつくられたものは常に変化してとどまることがない。
※諸法無我は、すべてのものは、永遠不滅の実体ではない。
※涅槃寂静は、煩悩の火が吹き消された状態は究極の安穏の世界である。
※一切皆苦は、あらゆる存在はすべて苦しみである。
※一切皆苦を含めて四宝印と呼びます。
【「とってもやさしい はじめての仏教」 公益財団法人仏教伝道協会より】
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四季の花

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四季の花 9月は雨が多く蒸し暑い日もありました。10月に入り衣替えをすると日中はまだ暑く感じることもあります。境内にも秋がやってきました。秋明菊・ホトトギス・フジバカマも今を盛りとして咲いています。

 

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七高僧 天親菩薩

昨日HPで、高田本山のひとくち法話の紹介で、7高僧についての「ひとくち法話」が始まりました。妙華寺の日曜学校でも以前7高僧について紹介しましたことも続けて掲載させていただきます。
七高僧とは、親鸞聖人が浄土教の祖師として尊崇した、インド・中国・日本の七人の高僧を示します。龍樹(りゅうじゅ)菩薩・天親(または世親)菩薩【インド】、曇鸞(どんらん)大師・道綽(どうしゃく)禅師・善導(ぜんどう)大師【中国】、源信(げんじん)和尚・源空(げんくう)上人【日本】の七人で、それぞれの著書の中で真宗で大切にしているものを「七祖聖教」(しちそしょうぎょう)という。
龍樹の『十住毘婆沙論』の「易行品」
天親の『無量寿経優婆提舎願生偈』(浄土論あるいは、往生論と略する)
曇鸞の『無量寿経優婆提舎願生偈註』(往生論註あるいは、浄土論註、単に論註と略する)
と『讃阿弥陀仏偈』
道綽の『安楽集』
善導の『観無量寿経疏』 と『法事讃』と『観念法門』と『往生礼讃』と『般舟讃』
源信の『往生要集』
源空の『選択本願念仏集』
②天親は『無量寿経優婆提舎願生偈』(浄土論あるいは、往生論と略する)という96句の 詩句と三千字足らずの散文の書物を著した。「浄土三部経」(大経・観経・小経)に説 かれている無量寿佛(阿弥陀佛)について論議し、西方に生まれたいと願うこころを 語っている。詩句部では、天親の阿弥陀佛への帰依と願生浄土の思いを表明し、浄土 のすばらしさについて、国土・阿弥陀佛・菩薩の三点から計29種で讃えている。散文 部では、この浄土へ往生するための行として、礼拝・讃嘆・作願・観察・廻向の五念 門行を語り、その行の結果として、往生のすがたを近門(ごくもん)・大会衆門(だい えしゅもん)・宅門(たくもん)・屋門(おくもん)・園林遊戯地門(おんりんゆげじ もん)の五果門で説明している。天親が七高僧の一人として注目されるのは、「世尊、 われ一心に尽十方無碍光如来に帰依したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず」という 表明を最初にしているからである。尽十方無碍光如来すなわち阿弥陀如来に帰依する こと、浄土往生を一心に願っていることが重要で「一心」こそが信心に他ならない。
五念門行はこの一心にそなわる功徳であると考えられていく。
天親は、一心(信心)を明らかにのべひろげた点で功績とされている。
『親鸞読み解き事典』から
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ひとくち法話

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天親菩薩(てんじんぼさつ)
釈迦(しゃか)の教法(きょうほう)おほけれど 天親菩薩はねんごろに 煩悩成就(ぼんのうじょうじゅ)のわれらには 弥陀(みだ)の弘誓(ぐぜい)をすすめしむ 『高僧和讃天親和讃第1首』
この和讃は高田派の同行ならば誰でも暗唱できる親しみ深いご和讃で、浄土高僧和讃の天親讃の第1首の和讃です。
天親菩薩は世親(せしん)とも言い、七高僧の第2祖です。天親菩薩は今から1600年頃前、北天竺(きたてんじく)でお生まれになりました。お釈迦さまが亡くなられてから900年頃でしょう。
兄の無著(むちゃく)さんと共に仏門に入り、初めは小乗(しょうじょう)仏教を学んでおられましたが、龍樹(りゅうじゅ)菩薩などからの影響もあり大乗(だいじょう)仏教に入られました。
主著『浄土論』は、天親菩薩以後親鸞聖人に至るまで、浄土教の指針になったのでした。
お釈迦(しゃか)さまの説かれた教法は多いけれども、煩悩いっぱいの私たち衆生(しゅじょう)は、阿弥陀如来の私たちを救わねばならぬという誓願以外に救われる道はないと言い切られたのです。
天親菩薩の帰命一心の教えは、現代も生き続けています。
信心すなはち一心なり 一心すなはち金剛心(こんごうしん)
金剛心は菩提心 この心すなわち他力なり 『高僧和讃 天親讃第9首』
なんと1600年も以前(4世紀)の頃の人とは思えない程の的確な言葉で「真実」が現代人に迫ってまいります。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より
※ホームページ開設1周年を記念して、9月中の「お寺からのお知らせ」に掲載します3つの記事(ブログ)の中で3つにキーワードをお知らせしました。
ご応募いただきました皆様ありがとうございました。
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3つのキーワードは、「い」「の」「ち」でした。私の「いのち」は、仏様からいただいた「いのち」と気づかせいただきますと、それぞれ等しく尊い「いのち」として出遭うことになります。ご応募していただきました皆様には、近日中に記念品をお渡しさせていただきます。今後も引き続きお寺のHPをお楽しみください。