8月の日曜学校

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03 さとり
シッダールタは北東インドにあるマガダ国に行き、ふたりの師について修行をしましたが、あっという間に師の教えを理解したので、修行に満足できなくなってしまいました。そこで、師のもとを離れ、5人の修行者と一緒に苦行を開始。42日間も断食したり、意識がなくなるまで息を止めたり、とても厳しい苦行を6年間行いました。しかし、シッダールタはまだ、人生の真理を見つけることができません。「苦行では、自分の求めるものは得られない」と知った彼は、35歳のときに仲間と別れ、少女の供養した乳粥(ちちがゆ)を受けた後、菩提樹(ぼだいじゅ)のもとで深い瞑想(めいそう)に入ります。煩悩が悪魔として現れて、瞑想の邪魔をしようとしますが、それでも彼は深い瞑想を継続。そして明け方、シッダールタは心の迷いから抜け出て、さとりを開くことができたのです。こうしてシッダールタは、「ブッダ(=目覚めた人)」となりました。
04  布教
さとりを得たブッダのもとへ、ブラフマンという神様が現れ、「あなたのさとりをこの世の人たちに伝えなさい」と言いました。「人々に説いても理解してもらえないだろう」と渋っていたブッダですが、ようやくその願いを受け入れて人々に教えを説くことを決意します。最初に訪れたのは、かつて、一緒に修行をしていた5人の仲間がいるサールナートでした。そこで最初の説法を行ってから、さらなる旅へ。弟子の数もどんどん増え、やがて仏教教団ができあがりました。
05 入滅
さとりを開いてから45年が経ち、ブッダは80歳になりました。いつものように弟子を従え、教えの旅に出かけましたが、旅の途中でブッダは体調を崩します。自分の命もあとわずかとさとったブッダは、クシナガラという村に到着すると、日本のシャーラ樹の間に床を敷いて横たわり、静かに最期のときを待ちました。そして、悲しむべき弟子達に「すべてのものは無常であり、つねに変化しているのです。これからも一生懸命、修行を実践しなさい」と語りかけ、生涯を閉じました。
※「とってもやさしい はじめての仏教」 公益財団法人仏教伝道協会より
2016-02-15涅槃図3IMG_0235

仏教文化講座に参加して

第90回仏教文化講座
仏教文化講座が今年で90回を迎えました。今でこそ「仏教文化」と聞いても当たり前のように思いますが、90年前に「安居(あんご)」から「仏教文化講座」に名称が変わったときに、その当時の人びとはどのように感じられたでしょうか。今年も5日間とも参加はできませんでしたが、参加させていただいた時のお話しをお聞きしての感想を記載します。
1日目は、ご法主殿のご親講で「明恵上人とその時代」でした。高山寺の明恵上人は、親鸞聖人と同世代で華厳経を学ばれていました。明恵上人は、夢記(むき)とか夢告(むこく)と呼ばれる私たちが見る夢の内容をたくさん記録されていて、それが珍しく今にも多く残っていることに驚きます。今はそれほど大事にされない夢の話ですが、少し時代をさかのぼれば大切にされていたことを教えていただきました。私も夢をみたことは何度もありますが目をさませばほとんど忘れてしまっています。切実に思うことが無かったからかも知れません。ずっと思うことがあったり、反対に何も思うことがなくても夢を大切に扱っていくことも私の中にある何かと向き合うことになるように感じました。
親鸞聖人にも「夢記」があります。六角堂に参籠した時の夢は、「親鸞夢記」と伝えられています。関東へ向かわれる時の夢、「康元2歳丁巳、2月9日の夜、寅時夢告にいわく」の和讃など、今回の仏教文化講座期間中、宝物館で特別展観されています。他にも専修寺蔵の慈円(慈鎮和尚)の夢のことが記載された書状、親鸞聖人伝絵の熊野霊告の段も夢にまつわる展示されていました。
3日目の一楽真師は、「念仏もうす生活」のお話しでした。お念仏申す機会が減ったと感じる私が、お念仏を申しているのか。改めて省みる機会でした。自分の物差しがいかに邪見であることかが分からない自分に本当のあるべき見方に気づかせていただくのが阿弥陀様の働きです。今を生きていても生きる意味を求めなければ、その時その時の量りで物事をみればいいのですが、その量りでどうすることもできなると気づいていた時に、無量のものさしが、私のあり方を照らし、歩む道を示していただくと感じました。
「恵蛄春秋を知らず」の譬えは、何度聞いても自分の生きる意味への問いかけのように思えます。今お念仏を申す生活をしているのか? 問われますと中々うなずくことができない自分がいます。
5日目の安藤章仁師は「描かれた真宗世界」として、親鸞聖人の教えに聞思する中で、親鸞聖人が自ら造形された、「名号本尊」、「御影像」、「光明本尊」をどのように聞思していくか興味深いお話しでした。聖人の著述を通して聞思することの大切さは言うまでもありませんが、造形されたものにも、著述と同じ思いが描かれていて、著述が文章伝道であれば、造形されたものは、視聴覚伝道として著述と同様に大切なものであることをわかりやすくお話しいただきました。
※中川個人の感想です。仏教文化講座のそれぞれの内容の概略は、主幹の栗原先生が、後日宗報に掲載されます。

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8月の日曜学校は7日です

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8月の日曜学校は7日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の夕時のお勤めを一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
前日の土曜日が久居の花火大会です。暑い夏の1日、少し早起きしていただくと涼しさを感じさせていただきます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

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ひとくち法話

凡夫(ぼんぶ)
アメリカの青年が「アメリカ人は、どんなに自分が悪くても、ごめんなさいとは謝らない。ひとこというと、裁判は負けるし、お金を出さねばならぬから」とテレビでいっていました。私はこれがアメリカ人の生き方かと驚きました。
詩人の相田みつをさんが「損か得か 人間のものさし」といいました。私たちは、心で思うこと、身で行うこと、口で言うことすべて、どんなささいなことでも、自分の都合に立って、損か得かを判断して、ことに処しています。それが当然と思っていたのに、「うそかまことか ほとけのものさし」に照らしてみると、私たち人間のエゴ丸出しの汚い根性と映し出されてきます。
家族の間にも、子どもは子どもの考えで、親は親の権威で、夫は夫の立場で、妻は妻の都合でものをいうので、意見が違うのが当たり前です。そして、自分こそが正しいと張り合うのです。
一般に凡夫というと、愚か者、平凡人、迷えるものなどの意味で使っていますが、親鸞聖人は「凡夫」というのは、無明煩悩(むみょうぼんのう)、われらが身にみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころ、おおくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまれず、きえず、たえず『一念多念文意(いちねんたねんもんい)』と、くわしく凡夫という者の心の千変万化(せんぺんばんか)をお示しくださいました。いいかえると、特別なものを凡夫というのではなく、自分の都合を片時もはれることのできない私やあなたのことです。真宗はこの「凡夫」がお目当ての教えです。

※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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「夢想家か先駆者か空を夢見た男たち」

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『kalas』29号が発売されます。津市在住の編集者が、2006年の12月から年3回(4月8月12月)発行されています小冊子です。「kalas」=「からす」と聞くと津市には香良洲(からす)町と言う地区がありますので、「からす」からの情報誌かなと思ったりしていましたが、鳥の「カラス」で鳥のように自由に羽ばたきながら俯瞰する意味合いがあると聞きました。取扱店は、津市以外のお店でもあるようです。
(詳細はHP http://www.kalasbook.com をご覧ください)
この『kalas』29号に津市役所の文化課の中村光司さんの「夢想家か先駆者か空を夢見た男たち」という一文が掲載されています。世界中で空を飛ぶことに憧れた人びとの中の一人として、江戸時代の久居藩の国友さんの話を紹介されています。これは、久居の郷土資料の『藤影記』にある「飛行機の失敗」と言う話ですが、国友さんが飛ぼうとした場所が、妙華寺の本堂の屋根からでした。空を飛ぶことにあこがれて高い場所から見る景色はきつと引きつけるものがあるのでしょうね。とっても楽しく拝読いたしました。
※「飛行機の失敗」のお話しは、このブログの「2月の日曜学校(2016-02-09)」にも掲載してありますのでこちらもご覧ください。

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私(住職)は平成12年から平成18年まで高田本山の御影堂の平成大修理事務局に勤めていました。御影堂の屋根の瓦葺きが終わって仮設の素屋根が撤去される時に、現場管理者と共に素屋根の先端(一番高い場所)に上る機会をいただきました。高い所から見る本山の境内や周辺の一身田町の町並みはいつもと違うこれまで見たことが無い景色で貴重な体験でした。

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