春彼岸会は20日午後1時30分からお勤めします

讃佛会(さんぶつえ)
「暑さ寒さも彼岸まで」と言います。日本では、昼夜が同じ時間になり、太陽が西に沈む頃の春分の日・秋分の日を中心に一週間を春秋二季の彼岸と例えます。日本人の心に根付いた仏教への心温まる気持ちの現れです。
彼岸は、仏典に出てくる言葉で、パーラミターというインドの言葉を訳したものです。彼岸とは「到彼岸」の略で、迷いの世界(この世)から悟りの世界に到るということです。この迷いの世界を此岸(しがん)といい、如来の悟りの世界を彼岸と名付けています。
親鸞聖人は、「人みなこの此岸、つまり人間世界から彼岸への途を歩まねばならない」と申してみえます。
此岸から彼岸へのこの道は阿弥陀如来ご廻向の道であります。浄土への道は、浄土からの呼びかけの道であります。彼岸会はインド・中国にはなく日本独自の法会です。真宗では彼岸の一週間を佛徳を讃嘆する場として、また聞法のご縁の場として大切にしています。
真宗では、彼岸会を讃佛会とも申しています。
 法苑院妙華寺では、春分の日・秋分の日の午後1時30分からお勤めと法話を勤めています。 親鸞聖人のご和讃に
「生死の苦海ほとりなし
ひさしくしずめるわれらをば
弥陀の悲願のふねのみぞ
のせてかならずわたしける」とお述べになっています。
苦悩の世界(此岸)に沈んで久しい私たちは、阿弥陀如来の悲願によって救われる(彼岸へ運ばれる)とお諭しになられています。
 3月20日(祝・日)午後1時30分からお勤めをいたします。その後、福専寺の上田隆順師のご法話がございます。
妙華寺では、ご法話をご聴聞していただくと法会参加票にスタンプを押印させていただいています。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています
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あの日から5年

あの日から5年
5年前の3月11日 母を歯医者に送りいったん家に戻ってPCの前に座った。
私の住んでる三重県津市では身体の揺れは感じなかったが、部屋の電灯がゆっくり揺れ出した。「地震?」と思い、TVをつける。そのうちに大きな津波が映し出されて息をのむ。初めてではないが胸をしめつけられる。何も手がつけられず時間だけが過ぎていく。遠くにいるのに現場にいるような感覚。忘れることのできない光景。
これまでも忘れることのできない出来事はあるけれど、とっても心が締め付けられていた1日でした。翌日から多くの方々がボランティアとして現地で活動をされていました。私は「身が動く」こともなく、被災された方々にできることは何か考えていました。申し訳ないことですが、自分にできることはわずかばかりの義捐金をお送りすることと、翌月の4月11日と翌年の3月11日にお勤めを本堂でお勤めすることだけでした。何が私の中で変わったのか?変わらないのか?
『ボランティアは親鸞の教えに反するのか』木越康著 法蔵館の中で、35歳の息子さんを亡くされた方の話がある。365日泣いて、そして「もういいの・・・」と言わざるえない現実。頭の中にある地獄ではなく、地獄の中を生きている方々がいる。また中学の子供さんを亡くされたお母さんが「復興の定義が人それぞれ違うと思いますが、私にとっての復興とは息子が帰って来ること。なので、わが家にとって復興はありえません」の言葉は決して忘れてはいけない。違う章で高橋源一郎氏が親鸞聖人に魅せられ、その言葉に大きく心揺さぶれた経験が紹介されている。そして「もう5年」「まだ5年」この時期になるとメデイアなどで特集が組まれ被災者の現状を知り、現地で活動を続けられている方々のご苦労を知るのですが、それでも今年も、この日には何もできなくて申し訳ないとつぶやきながらお勤めすることでした。

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ひとくち法話

病とのおつきあい
日本は世界最高の長寿国だと言われています。その理由は医学の発達と食物等生活環境の良いことがあげられます。しかし、長寿なるが故に反面、複雑で多様な病にめぐりあわねばなりません。巷には病院や診療所などに病人が溢れています。病気になっても、なかなか死なせてもらえずに、病に苦しまねばなりません。病気にはかかりたくない、かかっても早く治りたいという気持ちは人情の常ですが、お医者さんだって、治せない病は治してくれません。病はいやだ、きらいだと逃げまわっていても、余計に悪くなる場合もあります。
真宗の教えの重要なことのひとつは、自分が凡夫であることの自覚によって「自力無効(じりきむこう)」とめざめることです。お医者の施療活動も、栄養や保健管理等も一種の自力のはたらきです。自力のはたらきには限界のあることも自覚せねばなりません。ある名僧は次のように語られました。「病気になるのは何かのたたりではない。病気は煩(わずら)わさせてもらうもの、病気になったおかげで、娑婆(しゃば)がわかり、人間そのものがわかり、自分の弱さや醜さもわかるのです。そして他人様の親切もわかるのです。病気は自分の凡夫性に気付く絶好の機会なのです。病気も仏作仏法(ぶっさぶつぎょう)、如来様のおはからいと申せましょう。」
このように病とおつきあいをすれば病も軽くなり、病の苦もへるのではないでしょうか。お念仏をいただくと、三世(さんぜ)の罪障(ざいしょう)が軽くなるという、ご和讃が改めて深く味わえます。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より
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卒業式 +(プラス)

卒業式+
3月8日に、親族や友人がいるわけでもないのに東京神谷町の光明寺での卒業式に駆けつけました。私自身の卒業式は2年前でしたが所用で参加できなかったこともあるのかもわかりません。第4期の未来の住職塾の卒業式は、80名以上の参加者でご本堂は満堂でした。僧侶・寺族、また社会人として活躍されている方々の卒業式ですので高校や大学の卒業式と違いますが、一つの課程を修了し評価されたことはこれからのお寺の方向性やご自身の立場の覚悟も備わったことで自信にもなることと思います。私自身も刺激をいただきながら、また歩みを進めたい気持ちになりました。
2日目 のサンガ(卒業生)の集いは、東京ジャーミィ・トルコ文化センターに伺い、イスラム教のモスクと礼拝の見学でした。こちらも興味深い行事でありましたが欠席をして帰ってきました。ですので本来の+(プラス)については述べることができませんが、1日目の午前に築地本願寺にお詣りに行きました。築地本願寺には6年前に一度お詣りに行きましたがその時は、本願寺のお寺のご住職の葬儀式でご本堂にお詣りすることができませんでした。今回はご本堂に入りゆっくりお詣りをしました。明治時代のコンクリート建築ですが
今見てもモダンな感じがします。京都の龍谷大学の大宮校舎も同様に感じます。他、三重県の桑名市の諸戸邸も同時代のものだったと思います。使われながら残っている建造物はやはり大切にしていきたいと思いました。

【訂正】築地本願寺の建物は昭和6年に建てられたインド様式の建物です。龍谷大学の大宮校舎は明治12年に建てられました。また、桑名市の旧諸戸邸は大正2年に建てられいました。住職は明治時代の建物と認識していましたが、それぞれ建てられた時代は違っていました。ご指摘ありがとうございました。

平成28年3月9日

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平成28年の祖師寿のお申し込み

平成28年の祖師寿のお申し込み
毎年、高田本山の行事として、祖師寿という親鸞聖人の90歳の寿命になられた方を、  男性は5月21日の降誕会に女性は6月5日の高田派婦人連合会の席上で表彰されます。今年は昭和2年(1927)生まれの方です。
お申し込みの締め切り時期が近づいてまいりました。
毎年年末に発行しています「寺報」にて翌年の該当者をお知らせいただくようお願いしています。今年はこれまでにご連絡いただきました該当者は、男性1名・女性1名です。
まだ該当の方でお申し込みされていません方は、お寺に3月末までに連絡ください。お寺から本山へ連絡します。
  お申し込みされる場合、該当される方のお名前・生年月日・表彰式に参加されるか・されないかをお知らせください。
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3月の日曜学校

今回は佛涅槃図の見所の一部をご紹介いたします。
①お釈迦様の右手の表現
(1)両手を体につけて仰臥か右脇臥
(2)右手を顔前におき右脇臥
(3)右手枕で右脇臥
古代インドで(1)の両手体側・仰臥は「死者の臥法」(3)の右手枕・右脇臥は「獅子の臥法」と呼ばれ大般涅槃を成就した聖者の表現とされている。
 日本で唯一 珍しい涅槃図 お釈迦様の右手の表現で上記の3点に納まらない作品がある。「大和法隆寺現身往生宝塔北正面涅槃像」と刻入されている木版涅槃図。
右脇を下に横臥されたお釈迦様は右手をまっすぐ前下方に差し出され、宝床下で一人物がその手に触れている。
②お釈迦様の枕
(1)手枕のみ
(2)枕をして手枕 『長阿含経』に「大衣を畳んで・・・」とありこれが枕に変わって表現 ガンダーラ出土の石彫の涅槃図などにもある。鈴鹿市の龍光寺の涅槃図もこの構図
(3)枕が蓮華台 右手が枕でない構図が多い。東福寺本、平安時代後期の金剛峯寺本の涅槃図の構図
例外として鎌倉時代後期の愛知・妙興寺本、京都大徳寺本は、右手はお顔の前にあり、枕は蓮華台でなく袈裟を畳んだものを枕とされている。
③宝床の向き
(1)宝床の右側を描く
(2)宝床の左側を描く
平安時代から見られる宝床の右側面を描く形式が古様な表現で鎌倉時代に入り、お釈迦様が右手枕をし宝床の左側面が描かれるものが現れこの形式が定着していく。
※涅槃図の見所は『涅槃図物語』竹林史博著 大法輪閣より抜粋しました。
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※真宗高田派京都別院佛涅槃図(複製)

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★高田本山では、3月15日から21日まで如来堂にて「佛涅槃図」をお掛けしています。

 

 

4月9日の布教大会のお知らせ

少し早いですが、京都若手僧侶法話勉強会(愛称 こんぱす)様のご縁をいただき、4月9日(土)の午後1時30分から3時45分まで妙華寺の本堂にて布教大会を開催させていただきます。
主催されます京都若手僧侶法話勉強会(愛称 こんぱす)様は、関西圏にいる若手の僧侶が老若男女問わず伝えられる法話を目指し、日々研鑽しているグループです。これまでに岐阜・島根・山口のお寺で布教大会を開催し、このたびご縁をいただき妙華寺での開催です。
やわらかく平易な言葉を用いた仏様のお話を、フレッシュな若手僧侶がお話しします。気軽にご法話に触れてほしいので一般の方々もぜひこの機会にお越しください。参加費不要でどなた様でもお越し頂けます。
当日の内容は、お勤め・短めの法話×4名・茶話会です。
茶話会では、参加者とお坊さんがゆったりお話しできます。
普段なかなか聞けないお坊さんへの質問や、仏教についての
疑問など一緒に考えるひとときです。
ご法話をご聴聞していただく皆様が、ご法話をする布教使をお育ていただくことになります。麗らかな春のひとときに、是非ともご法話をお聴聞していただき、若い僧侶をお育てください。

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3月の日曜学校は3月6日です

3月の日曜学校は3月6日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の朝時のお勤めを一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
今回は、本堂の西余間(向かって左手)の仏涅槃図のお話をいたします。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

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3月のおてらおやつクラブ

先月は、名古屋でのおてらおやつクラブの活動が、初旬に中日新聞の生活面で、23日には、東海TVの夕方のニュース番組の中で5分ほど紹介されました。賛同している仲間がこれまで知らなかった多くの方々に知って頂くことは大変喜ばしいことです。また、中日新聞の記事が、ジャパンタイムズweb版に転載されていることも後日教えていただきました。
おてらおやつクラブに賛同される寺院が増えることを願います。多くの仲間と一緒に活動もできますし、また一人(一寺院)だけでも活動ができるというのが良いところです。お寺のお供えの多くは、お同行様の年回などにお供えされるものです。お供え物も多種多様です。賞味期限なども考えながら一人親家族様にお送りしますのでお送りする時期はいつと決めることができませんが毎月一度お送りできるようにしています。今月は昨日発送いたしました。

 

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ひとくち法話

老いを華やぐ
「としどしにわが悲しみは深くして いよいよ華やぐいのちなりけり」岡本かの子
私たちは暮らしながらに老いていきます。だんだん歯が抜け、腰やひざが痛くなり、耳も遠くなっていく。老いていく悲しみばかりなのに、岡本かの子は、「いよいよ華やぐ」と歌っています。限られた人生を歩き、人生を生きる。求めざるに、老いに「オイ」とポンと肩を叩かれて仰天する。仰天するんでなしに、後ろから近づいてくる老いを静かに眺めて、来るんならいつでもどうぞと言える生き方ならすばらしい歓びです。
私たちはそのためには、自分の老いを作り上げねばなりません。体の老いに抗することはできませんが、私の人生の生きようまで老いに押さえられてはなりません。人間の脳細胞は使わなければますます退化していくと言われています。70過ぎてからでも何かをする、新しいものに意欲を燃やす、趣味に生きる、みな老いを転換する方法です。しかし所詮この転換も本質的解決になりません。
岡本かの子は、実は親鸞聖人から華やぐいのちの歓びを頂いて生きていかれます。すばらしい芸術的素質を持ちながら、自己の煩悩にさいなまれ、夫一平の愛欲にも翻弄されていた彼女は、聖人の苦悩と煩悩に満ちた生涯、人間的な人柄にのめりこんでいきます。聖人の徹底した自己否定と自己批判、そこから生まれる凡夫の自覚を通してこそ他力念仏の道が開かれると教えられます。
人生の後半、望まずして必ず対面する老いにしろ、人間は与えられた宿命を背負いながら、自分の人生を歩く以外にどうすることもできない存在ですから、素直にそのままうなづいていくことが老いを超えていくことになるとおっしゃています。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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