報恩講式(ほうおんこうしき)

報恩講式(ほうおんこうしき)1巻 覚如著
「報恩講私記」・「式文」とも言われています。仏、菩薩、高僧の功徳を讃える「講式」の一つであるので「報恩講式」と著すのが良いのではないか。
永仁2年(1294)親鸞聖人の33回忌の時に著されたもので、本願寺第3世覚如上人が25歳の時の著述です。正応3年(1290)3月から2年間、父覚恵との東国下向で、親鸞聖人の遺跡を巡拝し、面授の門弟との交流と自らの想いと意欲を表明したのが、「報恩講式」であるのではないか。また高田派で、報恩講の初夜で報恩講式を拝読するのは、翌年永仁3年に完成した「善信聖人親鸞伝絵」と共に高田門徒に贈呈されたことも関係するのではと考察されています。
内容は、総礼、三礼、如来唄(にょらいばい)、表白、回向よりなり、表白は、初段真宗興行の徳を讃ず、2段本願相応の徳を嘆ず、3段滅後利益の徳を述ぶに分かれる。
初段では、親鸞聖人の真宗の興行の徳を讃嘆します。聖人は広く仏教全体を学び、修行に励まれましたが、法然聖人に出遭い、誰もが容易に救われる浄土念仏の教えを授かり、それ以外に救いの道の無いことを知り、自らの信心を人々に教え説いて、信心の道に差し向ける生涯を送られました。浄土の真宗を開かれ、それを私どもに示された聖人に感謝し、念仏に専念しなければなりませんと述べられています。
2段では、本願相応の徳を讃嘆します。聖人はひたすら念仏に専念され、阿弥陀さまの絶対他力の信心を身に備えられた希有な方であり、その説き弘められた教えは、阿弥陀如来の本願に叶うもので、私どもがこのご恩に報いるには、ただ阿弥陀さまにお任せし、お念仏に励む以外ありませんと述べられています。
3段では、滅後利益の徳を申し述べています。聖人は亡くなられた後も多くの人々を利益し続けています。祖廟に参詣した者は皆、聖人の温顔を思い出し、書き残された聖教を拝読しこの教えを伝えていく決意を新たにしています。私どもはひたすら阿弥陀さまの救済を信じ、お念仏に励みますからどうぞお救いくださいと記しています。
                  参照 『祖師親鸞讃嘆』報恩講式と嘆徳文 常磐井慈裕著 山喜房
※式文の3段に親鸞聖人が亡くなられて何年になるかを述べられる部分があります。
ご遠忌の年は、「●年」と拝読しますが、それを過ぎると次のご遠忌の年まで「●余年」と拝読されます。その部分をご遠忌前に書かれた式文で拝読する時、書かれているとおり拝読をしてしまいますと大変です。(工夫してその部分は紙片を貼り付けたりします)
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報恩講をお迎えして

今年も報恩講にお迎えさせていだきました。
自坊の報恩講は、私が大学時代には、12月5日6日でした。住職の祖父や父が、12月朔日のおみがきの日に、庫裡の畳をあげて大掃除をし、お非時(ひじ)の会場に模様替えをしていました。
組内の報恩講も、正月の3日や5日にお勤めするお寺さんもあり、今より寒い中、報恩講をお迎えしていました。
父の代になり妙華寺会館ができ、そちらがお非時の会場になり、庫裡の大掃除がなくなりました。また、日曜日に報恩講をお迎えするお寺さんが多くなり、現在は10月の終わりの日曜日から組内の報恩講が始まります。これまでより暖かな日に報恩講を迎えるようになりました。この頃当時の組長様が、組内の報恩講のお勤めを本山の「初夜」の形でお勤めをしようと提案され皆で研鑽していました。
50代に入った頃からは、「あと何回報恩講にお遇いできるか」と考えることがあります。よく「生涯の中で、あと何回食事ができるか」などと同じように人生の折り返し点を過ぎた頃に考える事と同じ思いなのかもしれません。本山の報恩講(お七夜)も、組内の報恩講、そして自坊の報恩講、毎年でありますが数えてみると限られた時間(回数)であります。宗祖のことを改めて思い、讃嘆させていただく時間を若いときよりありがたく思うことです。
報恩講の荘厳で特徴は、西余間に掛ける4幅の親鸞聖人の絵伝にあります。高田本山の圓遵上人の時のもので絵所は藤原佐助です。
また、親鸞聖人像をご安置しています宮殿の戸帳を外しますので、ご拝顔できる唯一の機会です。
婦人会の皆様のご奉仕で、お非時(ひじ)を今もお出しできることは、時代を越えて味を伝承させていただくことで本当にうれしいことです。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

これまで12月5日にお迎えしていました報恩講を来年から12月の第一日曜日にお迎えすることになりました。師走に入りご多用の中ではありますが、ご聴聞の時間をおとりいただき親鸞聖人のみ教えにお遇いいたしましょう。

12月の日曜学校は6日です

12月の日曜学校は6日です。朝7時30分から8時頃までです。
今年最後の日曜学校です。12月は、ご家庭での平素の夕時のお勤めを一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、参加者に念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)
報恩講に引き続いてですが、お待ちしています。

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お説教とご法話

お説教とご法話
妙華寺の行事のお勤めの後の布教使様のお話を「お説教」から「ご法話」と言い出したかいつからか定かでないのですが、祖師前(親鸞聖人像がある前の大間)に高座を用意して、布教使様が、黒衣・五条でご出仕されていた時は「お説教」とご案内し、演台と黒板を用意して布教使様が、ふほう・輪袈裟でご出仕されるようになってから「ご法話」と案内するようになったと感じています。
また「お説教」を「お説経」・「お説法」と言う場合もあります。「ご法話」の言葉と共に「お法談」と言う言葉もお聞きします。それぞれ仏法の教え、信心のあり方(信仰のあり方)、功徳を説くことの意味合いになりますが、「説教」と聞くと、目上の方から教訓や堅苦しい話や小言とのように感じる場合もありますし、「説法」と言うと、意見することや自分の考えを相手に言い聞かせることの意味合いもあるようです。
真宗で大切なのは仏法を聞くことであり、「お聴聞」できることを喜びましょう。
妙華寺では、年5回「お聴聞」できる場がございます。「お聴聞」していただく励みとして法会参加票を用意しています。参加していただきますと押印をいたします。10回のご参加で記念の品をお渡ししています。

2015-12-01お説教とご法話②FullSizeRender