Sottoのシンポジウム

「”みんなちがって、みんないい。”って思ってくれない社会ってイヤだ! ”らしさ”による死にたいほどのつらさについてみんなでいろいろ考えるシンポジウム」タイトルが55字のシンポジウムに参加しました。確か、 昨年のシシンポジウムの講題は「死にたいにまつわる言いたいようで言えないそんな気持ちのもっていきどころについてみんなでいろいろ考えるシンポジウム」タイトルが56字あるシンポジウムでした。「死にたい」気持ちについて丁寧に向き合うとどうしてもタイトルが長くなってしまうのでしょう。

今回は、作家の雨宮処凜氏、批評家の杉田俊介氏、主催者のSottoの代表の竹本了悟師が「~らしさ」について発言されました。毎日新聞編集委員の玉木達也氏がシンポジウムを進行されました。
詳細は、Sottoのフェイスブックでシンポジウムの中で更新されていましたのでそちらをご参考されることにして、
今回は、「らしさ」から自分を振り返って他者がどのように見えるか考えさせられました。女性・男性の視点からの発言から始まり、男性から見る女性らしさと女性から見る女性らしさ、女性から見る男性らしさと、男性から見る男性らしさは当然ではありますが違いますし個人により違います。しかしそれを何かのはずみで忘れている自分もいます。他者と一般論として話すとき私の思う「らしさ」と他者が思う「らしさ」には重なる部分と重ならない部分があるのに一緒にしている場合に違和感を感じたりするのか分かりません。そこには言葉の1つ1つが大切な事を感じました。「弱音」と「本音」と「本心」重なる部分もありそうで重ならない部分を他者にどこまで見ることができるのか。

「らしさ」は、居心地が良いと感じる時と、居心地が悪いと感じる自分もいます。他者を見ることも自分の中にある「らしさ」を重ねて見ます。また「自分らしさ」って分かっているようで分かってない「らしさ」もあります。「自分らしさ」に捜しながら、「これが私なのだ」と思い込みたいこともあります。

生きづらさ死にたい気持ちに向き合うことは誰にでもあることですが、その時に一人で抱え込まず他者とそのことを共有できる場所や関係性を確保できれば生きづらさや死にたい気持ちを持ちながらでもその日を過ごしていけるように感じました。

Sottoのシンポジウムは二度目ですが参加している私達からの質問にも時間をかけて話をしていただけるのはうれしい気持ちになります。ツイッターのつぶやきや質問も登壇者の後ろのスクリーンに映し出されているのは今の若者には当たり前でも地方在住の私にとっては驚きです。

※中川個人の感想です。