聖徳太子像

今年は、毎月10日に法苑院妙華寺を紹介していきたいと思います。
聖徳太子像 一躯 木像 玉眼・寄木・彩色 像髙 95.5cm 江戸時代

妙華寺の聖徳太子像は、向かって右余間の七高僧の隣に安置しています。

聖徳太子(574-622)厩戸(うまやど)皇子、上宮(じょうぐう)太子とも言われる。父は用明天皇。高句麗の慧慈(えじ)に仏教を学び、法隆寺、四天王寺などの寺院を建立した。『法華経義疏』・『勝鬘経義疏』・『維摩経義疏』を制作したと伝えられ仏教の興隆に尽力した。政治の世界では推古天皇を助け冠位12階や憲法17条を制定し、遣隋使を派遣した。
聖徳太子は、仏教興隆の祖として鎌倉時代に信仰が広まった。
親鸞聖人は、観世音菩薩の化身してい崇め「和国の教主」とも讃仰された。「正像末法和讃」の中に皇太子聖徳奉讃11首、皇太子聖徳奉讃75首、大日本国栗散王聖徳太子奉讃114首を和讃された。
真宗では一般に16歳孝養(きょうよう)太子像を余間に安置する。美豆良(みずら)を結い、右手は胸前で柄香炉を執り、左手は右手の下で布をつかむ。聖徳太子が16歳の時に、父用明天皇の病気平癒を祈願したという伝説に基づく姿。