和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土高僧和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。
高田派門徒にはとても親しくしている和讃の一つです。

浄土高僧和讃 龍樹菩薩第6首

不退の位すみやかに 得むと思はむ人はみな
恭敬の心を執持して 弥陀の名號稱すべし

浄土往生から退くことのない位を、早く得ようと思う人はみな、わが身をつつしみ教法を敬う心を堅く保持して、弥陀の名号を称うべきである。

不退の位は、真の報土への誕生が確定して後退することのない、安定を得た信心の地位。
『讃阿弥陀仏偈和讃』第29首参照
恭敬は、『讃阿弥陀仏偈和讃』第32首の左訓に「心も及ばず敬うこころなり」とある。教法を敬うところにおのずからつつしみの心が生ずる。
執持は、金剛堅固の信心を表す。

以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

第4首と同じく『十住毘婆沙論』「易行品」の文によるものです。(中略)
願船に乗ずるとき不退の位を得るのは容易であることを、順風満帆の「不退の風航」と掛けてあるのです。祖聖の現生不退、現生正定について、『尊号真像銘文』よりその一つを選びます。「不退といふは、仏にかならずなるべき身と、さだまる位なり。これすなわち正定聚の位にいたるをむねとすと、ときたまえるみのりなり」と。
「恭敬」について、「つつしみ、うやまう」との左訓に加えて、「小乗おば供養という、大乗おば恭敬という」との注目すべき課題を与えられるのです。恭は自分の身を謙遜すること、敬は法を尊敬すること、これによって機を信じ法を信じる信心のすがたとみます。それでは小乗大乗とは何の意味でしょうか。『十住毘婆沙論』「釈願品」第5の初めに、「小乗の法を以て、衆生を教化するを名づけて供養となす。辟支仏(べゃくしぶつ)の法を以て、衆生を教化するを名づけて奉給となす。大乗の法を以て、衆生を教化するを名づけて恭敬となす」(中略)
『讃阿弥陀仏偈和讃』第32首には「恭敬をいたし歌嘆す」とあります。「執持」は「とりたもつ、散らし失わず。一度とりて長くすてぬにかく」と左訓されて、名号とのかかわりがよく分かります。直ちに『念仏正信偈』龍樹章の、「応以恭敬心執持 称名号疾得不退」を読誦することに誘われます。もとは『阿弥陀経』の「執持名号」「心不転倒」に由来するものでありましょうか。
往生浄土に一歩を印して退転のおそれのない地位を、一念一刻の早さで得ようとする人は誰人も、弥陀仏が名号を選んで本願としたもうた、その本願の名号を、こころをむなしくしてへりくだり、こうべにいただき、どこまでも身から離れないように、しっかりと大切にとりたもち、称名念仏にいそしむことこそが、不退転の実証の華となるということができます。
以上【浄土高僧和讃講話 川瀬和敬著より】

※この和讃から五首は、高田派では一番親しんでいる和讃です。ご自宅での年回のお勤めの時には「文類偈」に続いて一同でお勤めしています。