和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土高僧和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。

浄土高僧和讃 天親讃9首

信心すなわち一心なり 一心即ち金剛心
金剛心は菩提心 この心即ち他力なり

この他力真実の信心は、即ち天親菩薩の言う一心に他ならぬ。
一心はつまり善導の言う金剛心であり、それは即ち涅槃に至らんとする菩提心であって、この心こそ、凡夫の自発心ならぬ如来廻向の願力である。

※金剛心は、他力の信心は、金剛のように堅固であるから言う。善導の「散善義」に出る言葉。
※菩提心は、 金剛心によって浄土へ生まれるのであるから菩提心である。
以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

第8首の「他力真実の信心」を受けて、この信心は、天親論主が凡夫に分かる形を示して、二心なき一心なのだ、というのです。信ずる心といっても、きめてがつかみにくいので、これを一つの心と言い当てたのは、かたじけない表現だというのです。超絶したものを受けとめるのは、これしかないのです。
信心はどういうものであるかといえば、一心としてとらえられるものであり、善導大師のいう金剛心なのです。これは自力の我が頑固に見えているが無残にこわれていくのとちがって、一心は柔軟(にゅうなん)心ですから、人間の事情に左右されるものではないということです。この金剛心こそ、われをして仏にならしめる菩提心でありまして、この心はそのまま他力です。これによってみれば、別に菩提心をおこさずとも、おこす力がなくとも、廻向の信心が菩提心のはたらきをもっているのです。しかも他力を信ずるとか、他力によって信心を得るとか、他力と信心とが別立ではなく、信心がすなわち他力そのものです。他力と信心が二つでないところに、一心の重さを見ることができます。(以下省略)
以上【浄土高僧和讃講話 川瀬和敬著より】