グリーフケア公開講座「悲しみを生き抜く力」

グリーフケア公開講座「悲しみを生き抜く力」
 上智大学・龍谷大学主催の春の公開講座があることをHPで知り締め切り間近に申し込みました。初回は参加できませんでしたが2回目の講座に参加しました。
「親鸞と世阿弥の哀しみ」 山折哲雄師
世阿弥についてはまったく知らずにいましたが、親鸞聖人と世阿弥に共通することは、時の権力者から流罪になったこと。親鸞聖人は、京都から越後に流され、赦免後、善光寺から関東へ歩いて行かれる姿に「苦しみ」=「哀しみ」のように感じる。世阿弥は、親鸞聖人からおよそ200年後の時代で、流罪で佐渡に流されたが、同じように流された日蓮聖人や親鸞聖人については何も語っていないのはどうしてか。
能の舞台では、演者が最初にあらわれて「憑きもの」に憑かれ舞い、謡い、やがて静まっていく。その舞台で何も語らず聞いている人物が、坊主で傾聴の姿ととらえることができる。また演者が静まり最後に舞台から消えることを「成仏」とも言うらしい。
親鸞聖人の晩年の和讃である「悲歎述懐和讃」を誰が傾聴したのか?山折師は、「阿弥陀如来」ではと話された。
その後の鎌田東二氏との対談で、比叡山の偉大さを再認識させていだき、比叡山に伝わる「論・湿・寒・貧」に耐える力の中で、「湿」が日本の風土からきたものと指摘されていた。
※中川個人の感想です。
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