ひとくち法話

往還二廻向(おうげんにえこう)
「廻向(えこう)」という言葉は、「廻転趣向(えてんしゅこう)」という意味で、人間の心をひるがえして、仏に帰依(きえ)することをいいます。それがすべて菩薩の自力の働きですが、阿弥陀仏の働きのお手まわしであります。この廻向に2種あって、ひとつは往相(おうそう)の廻向、ふたつは還相(げんそう)の廻向といいます。
往相の廻向とは、阿弥陀仏(あみだぶつ)のお力で浄土に生まれていくことです。阿弥陀仏の手もとにおいてできあがった救いの手だてなので「廻向成就(えこうじょうじゅ)」といいます。
それが「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」の名号となって、私たちの心に「真実(まこと)の信心」となり、口にご恩報謝(おんほうしゃ)の「お念仏」となってあらわれて下さいます。いいかえればこの心〔信心(しんじん)〕行〔念仏(ねんぶつ)〕は、ほとけさまの慈悲心(じひしん)が、私たちに届けられたという証拠なのです。
次に還相の廻向とは、浄土(じょうど)に往生してのちに再び娑婆世界(しゃばせかい)に還(かえ)ってきて、阿弥陀仏の活動に参加させていただくことをいうのです。還相の菩薩(ぼさつ)として活動をさせていただくということは、阿弥陀仏の慈悲心の極(きわ)まりといえましょう。
「往(ゆ)く」も「還る」も、ただ「南無阿弥陀仏」です。
親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、七高僧(しちこうそう)などすべての善知識(ぜんぢしき)を、浄土からお迎えにこられた方々〔還相廻向の菩薩(げんそうえこうのぼさつ)〕として仰がれたのでした。

※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

2016-07-22久遠寺IMG_2633

先日名古屋の新栄町にある久遠寺様に伺いました。法話会を毎月のように開催されています。ご住職様が、ご自坊でお同行の皆様にお話しされるお寺はたくさんありますが、久遠寺様は、長年ご講師をお招きして、ご住職様・副住職様もお同行の皆様と共に聞法されています。今のご講師様もかれこれ13年ほどになるようです。私(住職)は、それぞれのお寺のご住職様が、お同行の皆様へお話しをされることも素晴らしいことと思いますが、お同行様と共にご住職様がご講師のお話を、聞法されるのはとても尊いお姿と感じます。

妙華寺でのご法話は年5回の行事の時にあります。その時、住職として行事のお勤めが終わってから始まるご法話をゆっくり聞法できていませんので、これからはできるようにしたいものです。

私(住職)が伺った時のご法話が、今回のひとくち法話のお話しでした。