『教学院報』2004年12月発行 第36号 「研究員のひとこと」 「相客に心せよ」

『教学院報』2004年12月発行 第36号 「研究員のひとこと」
「相客に心せよ」
 茶道の稽古を初め10年が過ぎました。きっかけは薄茶を喫する作法を知ることだったような気がします。茶席に入り、お菓子をいただき、お茶を喫する作法を学ぶこと自体は、一年もあれば少し分かってくるのですが、このお菓子をいただき、お茶を喫する簡単な作法の中にある心を聞くことは大変奥深く、何年経っても会得できないような気がします。
 茶道の世界で利休七則という原則的な教えがあります。「茶は服のよきよう点て、炭は湯の沸くように置き、花は野にあるように、さて、夏は涼しく冬は暖かに、刻限は早めに、降らずとも傘の用意、相客に心せよ」また、利休の言葉で「茶は渇を医するに止まる」・「和敬清寂」があります。これらの言葉の道徳的・倫理的・宗教的な一面に気づいていくと、茶道は日本の総合的文化といわれることも過言ではないと思います。
 利休七則のひとつ「相客に心せよ」は、主客はもちろん客同士がお互いに尊敬しあい相手の立場を思い、この一会(茶事)を楽しく過ごすことです。私自身もこの10年で何度か茶事を経験する機会を得て、その都度自分の立場で「相客に心せよ」を実践しているつもりですが、振り返ってみればいつも反省するばかりです。相手の心遣いに気づくことの難しさというか、相手の立場を理解する難しさを実感しています。
 私は、「相客に心せよ」を茶道から離れてでありますが、佛の私(衆生)への関係と思うことがあります。いつも私の立場をありのまま見ておられる佛のまなざしのように思います。その中で私が自由に存在している。上手く表現ができないのですが、そのようなことを感じます。
 また、私は、茶道の稽古の中で面授の大切なことも学び続けています。茶道の点前も以前に比べ一般に公開される部分も多くなっています。また茶道の情報についても収集は可能になり、一人で学ぶこともできるような気もします。しかし、個人で学ぶことができるのであっても、学んでいる自分自身を見つめることは、師と言う第三者を通じてしか分からないような気がします。高田(の教団)は面授の弟子による教団であることも思い起こされます。

※お茶の先生がご高齢になりお茶の稽古から離れて6年が経過しました。前々住職はお茶(抹茶)を毎日、午前中に当時居間にあった火鉢で沸かしたお湯で一服たしなんでいました。そこにいる家族にも振る舞っていただきました。私(住職)が、小学生や中学生の夏休みや春休みに居間にいる時は、お菓子につられていただきましたが、苦くてあまり美味しいものでないと思っていました。社会人になりお寺の法務で組内(そない)のお寺の行事の時、お同行様の年回法会の時に、抹茶(お薄)でもてなされることもあり見よう見まねでいただいていました。30歳を過ぎた頃、公民館でお茶の稽古の参加者の募集があり参加しました。前々住職の好んでいた茶道具やお寺に伝えられた茶道具の数々を見つけながらその取扱や保存の方法にも興味が出てきて、それらのことは、お寺の法宝物の管理にも役立つことになりました。しかしお茶はだだ一服のお茶を美味しくいただく(差し上げる)だけのことが一番大切な事です。その為の作法や相手への心遣いを砕いていくことは生涯にわたる修行のように感じます。自力的なことが多いのですが、最後は、その場におまかせするしかないところがとても面白いです。

※お茶の師匠とお別れ
11月3日、私のお茶の先生が亡くなられました。毎年続いている久居地域(以前は久居市)の文化祭の最中で、この文化祭が始まった時にお茶の呈茶席でご奉仕されていた先生のお一人でした。
30年前に入門しそれから覚えの悪い私をゆっくりお育ていただいていました。ご自宅以外でも大学などで稽古場を持ち、多くの社中をお育ていただいていましたが、ご病気やご高齢で、先生のお稽古が無くなりました。先生の社中がその後お稽古を続けて若い方々をお育ていただいています。
先生は淡交会の諸活動でもご活躍され、また地域の茶道協会や茶友会、公民館活動などに、日本文化の総合芸術と言われる茶道の素晴らしさを多くの方々に伝えていらっしゃいました。
最後に、これまでのご指導ありがとうございました。