ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第23回】京での晩年
関東ではご家族とご一緒だったようですが、経済的な裏付けのおぼつかない京での生活を考えられひとまず単身で帰洛され、三条富小路の善法坊、御弟尋有僧都の住坊等に居られたようです。
京でのご生活は、関東の門弟からの喜捨によって支えられ、大抵は200文300文が通例だったようですが、時には5貫文もあったようです。1貫文は米一石に当たるようですから、4万円ぐらいでしょう。ですから、聖人は案外豊かであったという人もありますが、何分にも人々の志ですからいつも十分ではなかったでしょう。
大切にされていた写本『唯信鈔』の綴じ目を外され、紙の折り目を裏返して『涅槃経』が書き写されています。これは重要文化財として本山に残っていますが、紙の様子や、筆の穂先の切れ具合からも不自由な暮らしの中にあって、なお先達の教えに対する熱情がうかがえます。
また、関東の弟子たちの京への来訪や、質問状を大変喜んでみえました。
「なお覚束なきことあらば今日まで生きて候へばわざともこれへたづねたまふべし」
「明教房の上られて候ことありがたきことに候」
「いのち候はば必ずかならず上らせ給うべし」とか、聖人のお返事の末尾には
「またまた追て申すべく候」
「またたよりにて仰せたまふべし」
「何事も何事もまたまた申すべく候」
などのお言葉が記されており、遠く離れた門弟への暖かいお姿の中に「お念仏申さるべし」とのお心が珠玉のように溢れています。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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