ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第19回】高田の本寺は真宗教団のはじまり
親鸞聖人が関東に赴かれるまでは、この地の人々は、お念仏の教えと無縁であったようです。そこには、山伏弁円の板敷山物語のような修験道という山岳信仰や加持祈祷などの呪術によって病気を治し、生活の不安や悩みを除こうとしたり、祖先の霊魂によるタタリを鎮めようとする密教的俗信が幅をきかせていました。
このようなところへお念仏の教えの種をまかねばという聖人の決意は、想像以上の固いものがあったことでしょう。使命感に燃える聖人が家族同伴で関東に入られたということは、お念仏の教えは老若男女、貴賤、僧俗の区別なく救われますという証拠を如実に身をもってお示し下さったものとうかがうことができます。
そして、ようやく十余年を経て、お念仏の種が関東各地に芽生えてきて、53歳の時に高田の本寺が建立されました。このことは、聖人の悲願が成就したという証明です。高田の本寺は、聖人が建立された唯一の寺院です。私たちの高田派の名称もここからきています。本寺における聖人のお話はいつも、『生死の苦海ほとりなし。煩悩愚息(ぼんのうぐそく)の凡夫が助かる縁は、恭敬(くぎょう)のこころで弥陀大悲(みだだいひ)の名号を申すばかりです』ということでした。
のちに関東のお同行が「往生極楽の道を問い聞く」ために、命がけで京都に帰られた聖人を訪ねたという話が伝わっていますが、本寺にはそういった真剣な心で、聖人のお話を一言一句も聞き漏らすまいと毎日大勢の参詣人が押し掛けていたに違いありません。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

Processed with MOLDIV